令和最初の外出は 5月4日みどりの日、以前よりぜひ訪ねたいと思っていて
なかなか実現できなかった” さきたま古墳群 ” に行く事ができました。
古墳というと真っ先に浮かぶのは奈良など近畿地方ですが
埼玉県行田市にも古墳群がある事を聞いてからは
いつかは行ってみたいと思っていました。
~ さきたま古墳群 ~
~ さきたま古墳群 ~
1893年 (明治26年) 将軍山古墳が発掘される
1935年 (昭和10年) 古墳群調査で前方後円墳11基 円墳11基が確認される
1938年 (昭和13年) 9基の大型古墳が国の史跡に指定される
1968年 (昭和43年) 稲荷山古墳(円墳部分で) 鉄剣・埴輪・他の副葬品が発掘される
1978年 (昭和53年) 鉄剣の保存処理のためX線検査を行うと115文字の金象嵌を発見
1983年 (昭和58年) 金錯銘鉄剣と、同時に出土した副葬品が国宝に指定される
~ 日本の古代史を塗り替えた100年に一度の大発見 ~
1968年 (昭和43年)稲荷山古墳円墳の地下1m付近より 鉄剣・埴輪・他の副葬品が発掘され
腐食の進む鉄剣の保存処理のため 1978年 (昭和53年)エックス線検査を行うと
今まで見えていなかった金象嵌で施された115の文字が浮かび上がりました。
辛亥の年(西暦471年)に※雄略天皇の親衛隊長にあたるヲワケの臣(オミ)が剣を作らせた事や
大化の改新(645~650)以前、関東などの地方は遅れていたと考えられていましたが
すでに畿内政権の支配が関東にまで及んでいて、古事記・日本書紀の記述が裏づけられました。
※第21代天皇 雄略天皇(ワカタケル大王)は考古学的には実在した最古の天皇といわれています。
* * *
~ 神話の世界を彷彿させる さきたま火祭り ~
祭りの中心となる復元古代住居(産屋)と
左後方の日本最大の丸墓山古墳
丸墓山(まるはかやま)古墳 ・ ・ 国内最大の円墳 (直径105m高さ19m)
稲荷山古墳 ( 前方後円墳 ) に登り 方墳より円墳をのぞむ
円墳より金錯銘鉄剣 ・他の副葬品 ( 国宝 )が出土しました
稲荷山古墳 方墳上より古代住居をのぞむ
丸墓山古墳をバックに日没の間近の古代住居
さきたま火祭りが始まりがました
前玉(さきたま)神社での舞錐による火おこしの火を受け継いだ松明行列
先頭のたいまつ行列に続き ・ ・
木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)一行も会場に向かいます
・ ・ 漆黒の暗闇に浮かぶ松明のまばゆい輝き ・ ・
壮大なたいまつ行列
中央は邇邇芸命(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
古代住居 ( 産屋 うぶや ) に火を放つ
邇邇芸命(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
古事記によると
邇邇芸命(ニニギノミコト) ・・天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫
木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ) ・・大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘
火の中で無事、海幸彦(ウミサチヒコ)・山幸彦(ヤマサチヒコ)を産んだ と、あります。
~ 産屋炎上 ~
御神火降り ( 丸墓山古墳を降る松明行列 ) と、炎上する古代住居
ヲワケの臣 ( 雄略天皇の親衛隊長にあたる人物 ) による託宣読み上げ後 ・ ・
花火(スターマイン)が打ち上げられ ・ ・
20:00(午後8:00)終了しました