もう暮なので 大掃除 ・ ・
すると しばらく忘れていた ” お気に入り ” の 品が出てきました。
今までは 「 質感やデザインがとても いいな 」 くらいに
表面的な見方しか出来なかったのですが
いろいろな事が頭に浮かんでくると、何ともいえない複雑な気持ちになり
しばらく手を休めて 想いを巡らしたのでありました。
~ お気に入りの ” 八重山上布 ” ~
2016/5/14 ブログ 雑草?? にも書いたのですが
苧麻 ( ちょま ) を素材とする白地絣織物で
紺地の宮古上布と共に 先島・琉球を代表する苧麻織物
薩摩藩への人頭税 ( 男は農作物・女は反布を納めた ) 貢納布としても知られる。
八重山の人々は、過酷な重税を唄で紛らわすしかなかった
とも、言い伝えられています
大津波
人魚伝説
人頭税
強制移住
月ぬ美しゃ
3/11と言えば 甚大な津波被害をもたらしたという事で
日本人なら 知らない人はいないですが
それでは 今までで一番大きな津波( 国内 ) は
何時、何所であったのでしょう?
記録に残っているものでは
1771年4月24日 ( 明和八年三月十日 )
沖縄県 石垣島の南南東 35~40キロ付近で発生した地震による
” 明和の大津波 ” が、歴史上最大級の津波被害をもたらした と、
伝えられています。
石垣島 太平洋側での被害が大きく
古文書 ”大波之時各村之形行書” によれば
宮良村で最大津波高 二十八丈二尺
現代のメートルに換算すると 85.4m にも達し
人家・家畜 を飲み込みながら宮良川を遡上し 名蔵湾へ抜けた
島の 40% が海水に浸かり その後の農業にも甚大な被害をもたらした と、あります。
大浜・宮良・白保・安良 ・ ・ など八部落は壊滅、他に7部落が半壊
震災後の人口は以前の48%に半減
さらに、塩害による不作 ・ 疫病の流行 ・ この地域だけに課せられた過酷な重税(人頭税)
などにより 琉球王朝から沖縄県に変わる頃には
震災前の人口の1/3までになっていたという。
1000トン近くもあるという打ち上げられた津波大石
宮良川河口ではおびただしい数の津波石の痕跡が見られるという
白保と伊野田の間の野原 ( 星野 ) に伝わる人魚伝説
人魚のお告げを信じ、山に避難した野原の人々は 皆無事でしたが、
お告げを信じなかった白保の人たちは ・ ・
~ 石垣島の津波被害 ~
薩摩藩からみても僻地でありながら人の数に対して税を課していた為、
人口は把握されていた この数字の信憑性は高いと思われます
琉球王府は人頭税を確保せんが為に
黒島 → 野底村 ( 石垣島 ) 波照間島 → 白保村 ( 石垣島 ) など
強制移住させた と、いう記録が残されています。
よく知られている ” 月ぬ美しゃ ” も、この時に
波照間から 白保に渡った と、
NHK BSの番組で見た覚えがあります。
~ 日本最南端 波照間島 ~
沖縄中部に ” うるま市 ” という所がありますが
沖縄の言葉で ウル → サンゴ マ → シマ なのだそうです
波照間 ( ハテルマ )は
” 果てにある珊瑚の島 ” の意 になるそうです
2013年3月開港の新石垣空港のある白保ですが
本土から降りたつ人々の心の中にあるのは
” 青い海 ” ” リゾー ト” ・ ・ だけなのでしょうか??
皮肉なことに 人頭税廃止以後よりも
課税時代のものに優品が多いと専門家は言う ・ ・
カーヌティカー ・ ・ 井戸枠
ミヂィクム ・ ・ 水雲
ターチブサー ・ ・ 二つ星
カサビグム ・ ・ 重ね雲
~ 八重山上布 ~
元は子守歌 という事ですが
色々な事が頭に浮かんできて
もの悲しい調べに聞こえてきてしまうのです ・ ・