以前、当ブログで
ハンス=ヨアヒム・シュルツェの
『コーヒーハウス物語』(1985)
という本を紹介しました。
バッハが作曲した
世俗カンタータ第211番
《お静かに、おしゃべりはやめて》
通称《コーヒー・カンタータ》を中心に据え
その時代背景を紹介した本ですが
その第3章の冒頭に
以下のような記述があります。
バッハが曲をつけた《コーヒー・カンタータ》の台本が世に出たのは、一七三二年のこと。といっても、コーヒーが各地で詩にうたわれるようになったのは、それよりもっと前の話である。早い例では、《コーヒー・カンタータ》から三十年ほどさかのぼった一七〇三年、フランスの作曲家ニコラ・ベルニエが公にした《フランス風カンタータ第三集》に、「コーヒー」と題されたカンタータがみられる。(加藤博子訳、pp.51-52)
出た当時に読んで
あるいは
つい最近に再読して
この件りをぼんやりと
記憶していたんですけど
先日(新譜として)購入したCDに
同曲が収録されていました。
(ナクソス・ジャパン NYCX-10097、2019.9.13)
リリース年月日は
本盤の購入先でもある
タワーレコード・オンラインに
拠りました。
原盤レーベルは Alpha で
そちらは同年9月12日に
出たらしいです。
原盤タイトルは
Routes du café で
これを訳したのが
タスキないしオビの
「コーヒーの来た道」ですけど
邦盤にはさらに
「〜欧州人は、いかにして
コーヒーに魅せられるに至ったか〜」
という長い副題がついています。
録音は
2017年10月と
2018年11月に
パリのボンスクール新教教会で
行なわれました。
演奏は
ソプラノがハナ・ブラジコヴァー
テノールがレイナウト・ファン・メヘレン
バスがリザンドロ・アバディ
そして、チェンバロ奏者の
オリヴィエ・フォルタンが指揮する
アンサンブル・マスク
という面々です。
ディスクのライナーでは
「カンタート」と訳されている
ニコラ・ベルニエの《コーヒー》が
シュルツェの本で
言及されていた曲です。
曲の原題は
Troisième livre de cantates
Le caffé
pour voix, flûte, violin & basse continue
となっていまして
先に引いたシュルツェの本だと
《フランス風カンタータ第三集》
と訳されているのが1行目。
2行目と3行目が曲のタイトルになります。
作詩はルイ・フュズリエ
Louis Fuzellier という人。
曲のタイトルに
声のための pour voix
とあるだけですから
必ずしもソプラノとは限りませんけど
本盤ではソプラノ独唱曲として
演奏されています。
まさか
昔、買って読んで
あるいは最近になって再読して
かすかに記憶していた曲が
簡単に聴けるとは
思いもよらず。
意外と聴き応えがあるというか
なかなか良い曲で
一聴の価値はあると思いました。
バッハの
《コーヒー・カンタータ》ですが
一度聴いた印象だと
バスが若々しい感じで
頑固親父という風には
聴こえなかったですねえ。
あと、レチタティーヴォと
アリアとの間のサイレンスが
ちょっと気になりました。
ちょっと間が空いているので
他の録音や動画に比べ
テンポが悪い感じがするんですよね。
タスキないしオビに
《コーヒー・カンタータ》は
「意外と新録音が少ない」
とありますけど
CDではなく映像であれば
割と多いように思えます。
今回のディスクの演奏も
映像で観たら
また印象が
違うかもしれません。
欧州圏だと
バッハとベルニエの他に
〈コーヒーの才気〉と題する
マラン・マレのヴィオール曲や
マシュー・ロックが作曲した
これもヴィオール合奏曲の
ファンタジア ニ短調が
演奏されています。
ヴィオールは
ヴィオラ・ダ・ガンバ属の楽器の
フランスでの呼び方です。
(英語だとヴァイオル)
ロックの曲が入っているのは
サミュエル・ピープスに連れられて
コーヒーハウスに行ったことが
有名なピープスの日記に
書かれているからだそうで
特にコーヒーを意識した曲
というものでもなさそうですね。
上でわざわざ
「欧州圏だと」と断ったのは
それ以外に
イスラム神秘主義
スーフィーの音楽家
ナイ・オスマン・テデ作曲の
トルコの楽器による演奏も
収録されているからです。
ナイはバロック時代の人ですけど
タンブリ・チェミル・ベイという
19世紀後半に生まれた
イスタンブールのリュート奏者? の曲や
アンサンブル・マスクのメンバーで
中近東の弓奏絃楽器音楽に詳しい
カスリーン・カジオカが
それっぽく作曲した曲なども
演奏されています。
まあ、コーヒーがテーマなので
トルコ系の音楽が混ざるのも
当然といえば当然ながら
何となく越境古楽っぽい雰囲気が
漂うディスクになっています。
何はともあれ
ベルニエのマイナー曲が
聴けるのは嬉しく
ありがたいことなのでした。