(1937/滝口達也訳、国書刊行会、1997.6.20)
世界探偵小説全集の第16巻として
新訳刊行されたもので
ちょっと必要かなと思い
目を通しました。
上で「新訳刊行」と書いたように
本作品は以前
早川書房の世界探偵小説全集
今日いうところの
ハヤカワ・ミステリの一冊として
翻訳されたことがあります。
(作者名はマイケル・イネス表記)
(成田成寿訳、1957.5.31)
ポケミスの方は
上京してから数年後に
ミステリ・ファン・サークルの
オークションで購入したもので
積読を揶揄されていたこともあって
いちおう読んでおります。
当時、読んでみて
面白かったような
記憶はあるんですけど
詳しい内容や感想は
すっかり忘れておりました。(^^ゞ
国書刊行会版を読むのは
今回が初めてですが
たいへん面白く
楽しめたので
買っておいてよかったです。
イギリスを代表する貴族の館で
貴顕紳士淑女連というか
上流階級人士によって
『ハムレット』が
上演されることになります。
その舞台上で
ポローニアスを演じていた
国家的な助言を与える地位にいる人物が
射殺されるという事件が起き
時の首相の要請を受け
アプルビイ警部が乗り出す
というお話。
本作品に関しては
『幻影城』と
『海外探偵小説作家と作品』に
収録されている(ほぼ同文)
江戸川乱歩の感想文が
よく知られています。
今回も読んでいる途中
ちょっと目を通してみましたが
乱歩の評価はトリックやアイデアの
独創性に重きを置いているので
今となっては少々古めかしいのは
いかんともしがたいですね。
特に、イネス作品における
英国風冒険小説の伝統を踏まえた
ユーモアやサタイアの要素や
スラップスティック・コメディの味わいを
捉えられていない(重視していない)のが
今となってはつらい。
あと、乱歩の読みは
単独の名探偵が推理を駆使して
意外な結末に至ることを
前提としたものだと思います。
本作品の場合は
単独の名探偵が全体をまとめる
というよりも
むしろ関係者の幾人かが
自分の経験の範囲内で
真犯人の行為に不審を抱き
真相に気づくというプロットを
立てているのだと思われます。
第四部でアプルビイが
説明役を務めますけど
それは読者に対して
最後のカタストロフまでに
それぞれの関係者のレベルで
何が起きていたか
ということを
説明するようなものだと
感じられました。
そしてそれは
本格探偵小説と
国際冒険小説という
ふたつのジャンルの
いずれかを決定することで
謎が解けるといった体の作品
という本作品の特徴を
よく示しているように思われます。
そういう
ジャンルに対する意識の鋭敏さが
意外と探偵小説に目配りしていて
鑑識員をソーンダイク博士になぞらえたり
(これはまあ、ありがちですけど)
アガサ・クリスティーが創造した名探偵や
前年に発表した某作品をふまえてのくすぐりに
つながっているような気がします。
シェイクスピア学者で
探偵小説も書いているという
作者自身をモデルにしたかのような
キャラクターを登場させて
純文学作家と文体について議論させたり
作者自身をモデルとした作家の著作に出てくる
トンデモなトリックにふれ
笑いを取ったりするあたりにも
ジャンル意識に基づく
メタミステリ趣向を感じさせます。
その他
『ハムレット』を演ずる役者と
それを観にきているお客
そして裏方や使用人なども合わせて
総勢200人近い容疑者がいるという趣向は
エラリー・クイーンや
フィリップ・マクドナルドの長編を
踏まえているのかも
と思わされたり。
広告業界に勤める
今でいうコピーライターで
女権主義者的なキャラクターは
ドロシー・L・セイヤーズを
モデルにしているのではないか
と思ったりして
ニヤニヤさせられました。
全体は四部に分かれており
第三部「大団円」の章で
間違った解決が示されるんですが
その偽の解決の中で示される
動機を生み出した時代背景への言及は
今日にも通ずるものがあり
感銘を受けました。
今日、われわれが直面している世界は、思想信条の相違を寛恕しない風潮が高まり、暴力主義、テロリズムといったものがますます人の心に入り込んできている世界ではないでしょうか。ごもっとも至極で冷酷な哲学、世界像、イデオロギーの名のもとに、幼稚で野蛮なものを喧伝しようと画策しています。個人の信念など眼中になく、もともと流されやすい存在であるところの人間につきまとい、十把一絡げに抱き込んでしまおうとしている。現代はそういった不健全な殉教者、異端審問者が跳梁跋扈しています。何百万もの人が一致団結し、何百万もの人を憎み、殺そうとしています。それも主義主張のためならかまわないと教え込まれているのです。ですから、考え方が気に入らない、からという理由で一人の人間が殺人を犯したとしても驚くに値しないのです。(350ページ)
あと2年で第二次世界大戦が勃発する
という時代に発表されたことを
よく示す部分だと思いますけど
冒頭の一文、特に
「思想信条の相違を寛恕しない風潮」が
高まっているというくだりは
今でもそのまま通用しそうです。
こういう部分があることを
確認できただけでも
再読した意味があったと
思ったりしたことでした。
蛇足ながら
ジェイムズ・ジュース
(ジョイスの言い間違い)
の著作に親しんでいる
記憶力抜群のインド人が
客として招かれているというあたり
突飛な連想ですけど
久生十蘭の『魔都』を
思い出したりしました。
雑誌『新青年』に
1937年10月から翌年の10月まで
連載された作品で
同時代の小説なんですよね。
同時代の探偵小説における
インド人の造形について
なんて論文を
でっちあげられそうです。( ̄▽ ̄)