ようやく

3月末の地震で崩れた本を

とりあえずという感じで

片付け終わりました。

 

表紙が折れたり帯が破れたりと

心痛むことが多かったですけど

唯一いいことがあるとすれば

見当たらなかった本を

ひょっくり見つけること

ですかね。

 

黄水仙を

見かけるようになってから

確か持っていたはずだと

ずっと思っていたのが

今回ご案内の一冊。

 

『黄水仙事件』本体表紙

(1920/吉田甲子太郎訳、尖端社、

 1931.4.25/1931.4.30. 再版)

 

5日で再版って

ありえない気もしますが

案外、最初から

刷っていたのかもしれません。

 

 

訳者の吉田甲子太郎

[よしだ・きねたろう]は

児童文学者として知られており

その意味では本書など

例外に属する仕事かと思います。

 

ただ、大正の後期には

探偵趣味の会にも参加しており

昭和のこの時期

何編かのミステリを訳しているなど

斯界と縁もゆかりもない

というわけでもないのでした。

 

 

こちら↓は扉ページのイラスト。

 

『黄水仙事件』扉


左上にも書かれているように

装幀は竹中英太郎。

 

江戸川乱歩ほか

探偵小説の挿絵などで

日本の古い探偵小説のファンには

よく知られた存在です。

 

 

原本はハコ入りですが

手許にあるのは

いわゆる貸本流れなので

ハコなしの裸本です。

 

念のために書いておくと

扉のタイトルには付いてませんが

奥付のタイトルには

「猟奇秘話」という

角書きが付いてますので

そちらをブログのタイトルにしました。

 

 

原作は

エドガー・ウォーレスの

Daffodil Mystery

完訳ではなく

訳者の「はしがき」によれば

「事件のテムポを早める関係上、

 かなりの自由訳になつて居る」

そうです。

 

そのためでもありましょうが

200ページしかなく

中編くらいのボリュームですし

良い機会なので

読んでみることにしました。

 

 

あらすじは以下の通り。

 

百貨店の経営者ソートン・ラインは、女性事務員オデツト・ライダに言い寄るが振られてしまう。その腹いせに、支配人の横領を調べさせるために呼んでおいた私立探偵ターリングを、オデツトを陥れるために使おうとするが、私立探偵はその仕事を断る。そこでソートンは、自分を崇拝している犯罪者を利用しようとするが、その夜、ソートンは何者かに射殺された姿で発見される。死体は女ものの絹の寝巻きにくるまれ、その胸にはひと束の黄水仙が意味ありげに添えられていた。しかも死者のポケットからは「自求災厄」と中国語で書かれた紙片が出てきたのだ。ターリングはオデツトを訪ねるが不在で、行方知れずとなっていた……。

 

 

裏表紙にはあらすじにも書いた

「自求災厄」という紙片が

逆さまに配されています。

 

『黄水仙事件』本体裏表紙

 

原本でも中国語が

そのまま印刷されているのかどうか

興味のあるところですね。

 

もしそのまま

印刷されていたのだとしたら

エキゾティシズムが

売りのひとつになっていたことが

うかがえるからです。

 

 

「かなりの自由訳」だけあって

ストーリーはさくさく進むものの

ちょっとさくさく進みすぎるようです。

 

やはり「はしがき」に

 

無数の容疑者をあやつゝて、最後の一頁まで真犯人を窺知せしめぬあたり、本格物中の本格物として推薦する価値十分

 

と書いてありますけど

現在の視点からすると

スリラーとしての価値しか

見出せませんでした。

 

 

私立探偵のターリングは

中国帰りの男で

中国人の従者を伴っています。

 

その中国人の従者が

母国で探偵の職にあったため

時として主役の探偵よりも

活躍することもあって

ターリングがボンクラにしか見えない

というのが難点のような気がします。

 

 

まあ、ターリングは

オデツトに惚れちゃったので

いつもの実力を発揮できない

ということかもしれません。

 

そういう展開は

シリアルものの探偵映画

(無声映画)に

よくありそうな感じがします。

 

そういうところからも

通俗スリラーという印象を

受けてしまうのですね。

 

 

ちなみに本作品は

発表からずっと下って

1960年に映画化されています。

(日本未公開)

 

映画版のタイトルは

The Devil's Daffodil といい

北島明弘の『世界ミステリー映画大全』

(愛育社、2007)によれば

イギリス版と西ドイツ版があり

タイトルが異なるだけでなく

主要出演者が異なるのそうですけど

中国人刑事は英版独版とも

ホラー映画ファンにはお馴染みの

クリストファー・リーが

演じたそうです。

 

独語版のタイトルは

Das Geheimnis der gelben Narzissen

日本語訳すると「黄水仙の秘密」となり

ほぼウォーレスの原題通りなのが

面白いですね。

 

 

本作品を本格としてみた場合

黄水仙をめぐる謎ときが

エラリー・クイーンなどを読み慣れた

現代の視点からすると

魅力に乏しいのが難点でしょうか。

 

素朴で自然ではありますが

そのためにかえって

意外かもしれなかったり。

 

犯人も意外ではありますが

手がかりに基づく推理によって

判明するのではなく

犯人の自白によって明らかになる

というあたりも

現代的な意味での本格には

当てはまらないところです。

 

 

黄水仙に関して

ちょっと面白かったのは

死体の胸に置かれていたのが

「黄金の拍車」Golden Spur で

オデツトの部屋にあったのが

「皇軍」Emperor という種類だと

書かれていることです。(p.58)

 

「黄金の拍車」には

「ゴールデン・スパイ」

としか読めないような

ふりがながついてますけど

これは「スパア」の

誤植ではないのかしらん。

 

 

それはともかく

小説そのものは

人間関係が

それなりに錯綜しているので

完訳すれば

人間的興味で

面白く読めるかも。

 

とは思いつつ、でもまあ

新たに完訳すべき作品だとは

思えないというのが

正直なところです。