『死との約束』ハヤカワ・ミステリ版

(1938/高橋豊訳、ハヤカワ・ミステリ、

 1957.7.31/1975.10.15. 3刷)

 

野村萬斎版ポアロの新作

『死との約束』

明日、放映されるということで

その原作を読んでみました。

 

翻訳の方は昔、一度

読んだことがありますけど

あまり面白くなかったような

記憶があります。

 

ポケミス版には解説も

訳者あとがきも付いてないし

なんだか物足りなく思ったものでした。

 

今回が久しぶりの再読になるわけですが

これが意外と楽しめました。

 

 

犯人は当然、忘れていましたが

途中のあるシーンで

クリスティーの手筋が読めて

当たりが付いてしまいました。

 

同じ手筋は後年

ミス・マープルものの某長編でも

使用されるものではないか

と思った次第です。

 

殺人現場であるペトラで被害者が

ある振る舞いを見せるんですけど

その振る舞いの意味するところも

自動的に気づいてしまったという。

 

クリスティーを

読み慣れている人であればあるほど

真犯人に気づくのではないかしらん。

 

作者の手筋を読んで

真犯人を当てるというのは

いわゆる読者のアンフェア

というやつでしょうけど。

 

 

ただ、終盤でポアロが作成する

重要事項リストの

9番目の項目の意味には気づかず

あっと言わされた次第です。

 

これも実にクリスティーらしい

伏線かと思います。

 

 

その重要事項リストは

ミステリを随分と読んだと言う

現地のイギリス人監督官(?)に

請われて作ってみせるものです。

 

その監督官の発言もそうですし

作中である人物が殺人計画を立てる際

かつて読んだことのある

ミステリのトリックを使うことにした

という発言などもそうですけど

ミステリの愛読者を想定したくすぐりが

割と多いようにも感じられます。

 

ちなみに上記のトリックは

ドロシー・L・セイヤーズの

某長編に出てくるトリックですね。

 

真犯人の用いる或るトリックは

ジョン・ディクスン・カーの

某長編を連想させましたが

そのカーの長編は本作品よりも

後に発表されたものでした。

 

 

クリスティー自身の

作品への言及も多いのも珍しいかと。

 

上記、イギリス人監督官は

レイス大佐の友人で

ポアロの人物紹介状に

シャイタナ殺人事件を解決した

と記されているようです。

 

そのシャイタナ殺人事件というのは

『ひらいたトランプ』(1936)として

発表されたものなんですね。

 

ある関係者は

『オリエント急行の殺人』(1934)での

ポアロの犯人に対する姿勢を指摘し

今回もそうしてほしいと懇願します。

 

オリエント急行の事件の顛末が

一般的に知られていていいものか

とか思ったり(笑)

 

またある関係者は

『ABC殺人事件』(1936)当時

自分もドンカスターで

家庭教師をしていたと述べる

といった次第です。

 

ひとつの長編の中に

自作の先行作品の名前が

これだけ出てくるのは

ちょっと珍しいように思います。

 

それでいて直近の

レイス大佐も絡んでいる

『ナイルに死す』(1937)に

ふれていないのが

面白いところですけど。

 

 

上に書いてきたこと以外に

本作品を読み直して面白かったのは

今、日本で話題になっている

〈わきまえる女〉という問題系が

そこここに見受けられるところでした。

 

女性の立場を擁護するために活躍している

女性の政治家を褒め称える育児看護婦が

「女性が何かをなし遂げた話を聞くと、

嬉しくてたまらないんですの」(p.74)

と言うのを聞いた女性医師は

次のように返します。

 

「女に限らず、誰でも価値のある仕事をなし遂げるつてことは、すばらしいことなんですよ。女か男かなんてことは、問題じやありませんわ。どうしてそんなことが問題になるんです?(略)失礼ですけど、わたくしは男と女の間にそんな差別をつけるのは大嫌いなんですの。現代の女性はちやつかりしてるなんていうのは、やはりそのせいなんですよ。だいたいそれは間違つてますわ。ちやつかりしてる女性もあるけど、そうでない女性もいるわけですからね。男だつて、感傷的でにえきらない男もいるし、頭がきれて論理的な人もいるわけですもの。要するに、頭脳の違いなんですわ。直接的に性と関係のある場合以外は、性なんか問題にすべきじやないと思うんですの」(pp.74-75)

 

原作は1938年に発表されたわけですが

この件りは現在でも通用するくらい

実に新しいと思わせますね。

 

明日放送されるドラマで

同じような台詞が出てくるかどうか

ちょっと注目したいところです。

 

 

また別の箇所ではフランス人の医師が

「権力欲とか残虐行為への欲望とか、破壊欲とか」は

「政策の綱領だとか、各国の行動の中に」

いくらでも見られると言ってから

次のように述べています。

 

政策綱領はときには立派なものに見えますーー賢明な制度であり、善意に満ちた政策であるように見えますが、しかしそれは権力によつて強制されるものだつたり、残忍性と恐怖の上にでき上つているものだつたりするわけです。(p.41-42)

 

まさかクリスティーで

権力論めいた議論が出てくるとは

思いもよりませんでした。

 

これなんかも

現代でも通用しそうな

考え方だと思います。

 

 

別の箇所では

上のフランス人の医師と

イギリス人の女性政治家とが

国際連盟について議論する場面もあり

時事的なトピックが扱われていることに

ちょっと驚かされました。

 

初読時はたいして面白いとも

思わなかったでしょうけど

歳を重ねた今、読むと

実に興味深く感じられます。

 

 

訳語で面白かったのは

「ばか騒ぎ」に「ローマン・ホリデイ」と

ルビが振ってあるところ。

 

おお、『ローマの休日』とは

そういう意味の言い回しであったか

と、今さら気づいた次第で。(^^;ゞ

 

あと「花粉熱」という訳語は

鼻の治療談義が出てくることから考えて

今なら「花粉症」と訳されるのではないかと。

 

第2部・第3章に出てくる

「第三段階」は、文脈から考えて

原文は third degree でしょうから

(手元の辞書には「過酷な取調べ、拷問」

という訳語があがっていますが)

今なら「第三のやり方」とでも

訳すところでしょうか。

 

ある程度、年輪を重ねると

こういう細かいところも

面白がれるわけでして

そんなこんなで

楽しい読書時間を過ごしました。

 

 

なお、本作品は

『死海殺人事件』というタイトルで

映画化されています。

(1988年公開)

 

一度、テレビで観た記憶があり

明日の予習にと思ったんですけど

ソフトでは持っておらず

観直すことができないのが残念。

 

今回、原作を読み直して面白かったので

中古で(適価でw)見かけたら

買おうと思った次第です。

 

 

ちょっと長くなりましたね。

 

長文乱文深謝。