あけましておめでとうございます。
本年も御愛読いただければ幸いです。
今年の干支は丑ということで
新春一発目は
牛が絡むミステリを取り上げよう
と思ったのですが
たくさんありそうでいて
意外と少ないことに気づかされました。
ケンタウロスや件[くだん]まで広げると
あれこれと思い浮かんだのですが
浅学の知恵はあとから出てくるというわけで
それらに思いが及ぶ前に
たまたま見つけたのがこちらです。
(1939/大村美根子訳、
光文社文庫、1987.11.20)
昨年、論創海外ミステリから出ている
『ネロ・ウルフの事件簿』シリーズを
当ブログで取り上げましたけど
(『黒い蘭』と『ようこそ、死のパーティーへ』
『アーチー・グッドウィン少佐編』
『ネロ・ウルフの災難 女難編』)
その際にいろいろと調べていて
存在を知った次第。
ネロ・ウルフの助手である
アーチー・グッドウィンには
リリー・ローワンという
ガールフレンドがいます。
その2人が初めて出会った事件が
『シーザーの埋葬』なのでした。
『アーチー・グッドウィン少佐編』収録の
「死にそこねた死体」(1942)第二章で
ニューヨークに向かう機中において
アーチーがリリーに出会う場面があります。
そのときリリーは
「闘牛士エスカミーリョさん」
と呼びかけるんですけど
その綽名の由来が
『シーザーの埋葬』に
書かれているというわけ。
ちなみに
「死にそこねた死体」の訳注によれば
エスカミーリョとは
カルメンの恋人である
闘牛士の名前だそうです。
光文社文庫版では
読者の教養を高く見積もってか
訳注が付いていないので
これは助かりました。
北部大西洋沿岸共進会に
蘭の花を出品するため
自動車で移動中だった
ウルフとアーチーは
事故を起こしてしまい
近所に助けを求めに行くのですが
運悪く、牛の放牧地に紛れ込んでしまう。
その牛から逃れるために
アーチーは柵の外へと駆け出して
牛の注意を引きつけ
その隙にウルフは岩の上に登り
難を逃れようとする。
その様子を見ていたリリーが
アーチーをエスカミーリョ
(光文社文庫版ではエスカミリオ)
呼ぶようになったわけですけど
それはともかく。
ヒッコリー・シーザー・グリンドン
という名前のその牛は
ガーンジー牛の全米チャンピオンで
炭疽菌で飼育している牛の
ほとんど喪った飼い主が
全米チェーンの大衆レストラン経営者に
売ったものでした。
その経営者が宣伝のために
美食家やマスコミなどを招き
バーベキュー・パーティーを
開こうとしていたため
全米ガーンジー牛連盟と
紛争の真っ最中。
大衆レストラン経営者は
かつて、隣人である郡の名士に
恋人を奪われたという経緯もあり
その意趣返しだと主張する名士の息子が
バーベキュー・パーティーは開かれない
という賭を経営者としたその夜
牛に突かれて死んでいるのが発見される。
ウルフは死者の父親である
郡の名士から依頼を受けて
事件の調査に乗り出すのですが
……というお話です。
ウルフは外出嫌いで
めったに家から出ない
という設定で知られているのですが
前作『料理長が多すぎる』(1938)に続いて
本書でも重い腰を上げています。
ニューヨークの事件ではお馴染みの
クレイマー警視も出てこないし
その意味では例外的? な一編なんですが
作品自体はなかなか面白かったですね。
ウルフが早々に殺人だと見破った理由は
単純ながら説得力がありました。
読者に手がかりが示されていない
という物言いが入りそうですけど
ウルフが牛にこだわる様子から
手がかりを推測せよ
ということではないか
と考えた方が生産的だと思います。
また、殺された郡の名士の息子が
大衆レストラン経営者との賭に
勝つと自信を持っていたことから
推理を展開して犯人のあたりを付ける
という手筋も説得力がありました。
本格ミステリとしてのポイントは
以上に尽きるかと思います。
それ以外では
依頼者である郡の名士に対し
事件の調査を始めると
厭な事に我慢しなければならない
とウルフが諄々と説くあたりなども
興味深かったのですけど
なんといってもリリー・ローワンの結婚観が
1930年代後半にしては新しく
注目されます。
「あたしは結婚なんかしないでしょうね。だって、結婚は実のところ経済上の取り決めに過ぎないし、あたしは幸運にも経済的要素を考えに入れる必要がないの。男の人も幸運よね——あたしがその人に魅かれ、彼もあたしに魅かれたとするならば」(p.97)
経済的余裕があるからこその
台詞ではあるものの
当時の女性をめぐる状況や
こういう台詞を吐かせた
スタウトの結婚観・女性観に
興味が引かれるところです。
リリーの台詞では他に
「わかるでしょう、
いったんは心ときめかせた相手が
不愉快な人でしかないのを悟ったときの、
あのうんざりする気持ち」(p.97)
とか
「あたしは素直で単純だわ。
与える気がないものを差し出したり、
何かを与えて見返りを期待する
なんてことは絶対やらないわ。
実に不健全じゃない」(p.98)
とかいうのもあって
なかなか印象的なキャラでした。
後者の台詞は
訳文だと分かりにくいですけど
「見返りを期待する」ことが
「実に不健全」なことだ
という意味でしょう。
戦前に邦訳されたとしたら
「雄牛殺人事件」
といった邦題になりそうな
本作品の原題は
Some Buried Caesar.
直訳すれば
「かの埋葬されたるシーザー」
(あるいは「カエサル」)
となりましょうか。
訳者あとがきによれば
オマル・ハイヤームの四行詩集
『ルバイヤート』の
英訳からの一節だそうなので
文語調にしてみた次第。
本品中には使用人が
娘から贈られた詩集にあった言葉を
引用する場面もあります。
使用人が『ルバイヤート』を引用する
というあたりが
スタウト流のユーモアでしょう。
以上、年初から
長文深謝なアップになりましたが
ご海容いただければ幸いです。
今年は読書日記が
たくさんアップできればいいなあ
とか思いつつ、改めまして
本年もよろしくお願いします。