(1969/菱山美穂訳、
論創海外ミステリ、2019.12.25)
ベルトン・コッブの
本邦紹介第2作ですが
前回ご案内の、先に訳された
『消えた犠牲』(1958)から
だったりします。
主役探偵はチェビオットではなく
かつて、その下で働いていた部下で
今は別の上司の下で働いている
ブライアン・アーミテイジ警部補です。
チェビオットは出世して
今では警視正となっており
普段は事務方のようですが
今回は事件の性質上
現場に顔を出す場面もあります。
物語は
アーミテイジがある捜査のために
上司の許可を得る必要が出てきた
というところから始まります。
現在の上司であるバグショー警視は
ふだんから部下の自由裁量を認めず
常に報告を求める狭量なタイプ。
しかたなく
警視が週末休暇中の
地方のホテルに車で向かうのですが
その途上、一人の女性を
轢きかけそうになる。
幸い怪我はなく
これから向かうというホテルまで
送りとどけたあと
当の女性が警視の秘書であることに
気づいてしまう。
ところが向こうは
知らないふりをしていたことから
お忍びで週末のお楽しみに来たのであり
お相手はバグショー警視だと
アーミテイジは考えます。
そしてお忍びの邪魔をすると
上司の覚えがめでたくないだろう
というふうに考えて
そのまま帰ってしまうのでした。
(この忖度ぶりはすごいw)
ところが週明けに
送り届けたホテル近くの崖下で
当の秘書の死体が発見されます。
警視が週末のお忍びについて
黙して語らないため
アーミテイジは
上司が犯人ではないかと
疑い始めるのですが……
というお話です。
今回も『消えた犠牲』同様
捜査官の視点から物語が進行し
(本作の場合はアーミテイジ)
その内面や推理の過程が
あますところなく示されるため
展開がスピーディーかつ合理的で
すいすい読むことができました。
自分はサラリーマンの経験はないですけど
ふだんから上司の気持ちを忖度し
やりにくいと思いながら
仕事をしているアーミテイジには
現代日本のサラリーマンも
共感が持てるのではないか
という気がしている次第です。
直属の上司が犯人ではないかと疑い
そのことを匂わせながら捜査するあたり
サスペンスを感じさせますし
ついにどうしていいか分からなくなって
現在の上司よりも階級が上の
かつての上司に相談する、という形で
チェビオットが関わるという流れも
きわめて自然だと思います。
早く相談すればいいのに、と
読んでて何度も思ったくらい。( ̄▽ ̄)
そしてチェビオットの
状況証拠で決めつけてはならぬ
というアドバイスは
当然のことながら的確であり
実生活でも肝に銘じたいところかと。
そこから
じゃあ犯人は誰なんだ
誰も犯人のなり手がいないじゃないか
と読者に思わせる展開は
自然だし見事です。
そして
ちょっと視点をズラしたところから
真犯人を提示してみせるあたり
思わず膝を叩くような上手さでした。
本作品を読み
『消えた犠牲』も考えあわせると
ベルトン・コッブは
真の動機の隠し方が実に巧く
それによって意外性を演出することに
技巧の冴えを見せるのが特徴ではないか
と思われてきます。
なお、邦題の「醜聞」には
「スキャンダル」と
振り仮名が付いています。
原題は
Scandal at Scotland Yard で
チェビオットは人の上に立つ管理者として
職場のスキャンダルを調整する役割が
求められていると同時に
理想の上司像を体現する側面も
あるわけです。
つまり
警視庁を舞台とする
一種の職場小説、
お仕事小説としても
読めるような作品だと
思うわけですが
どうでしょう。
『消えた犠牲』は、まだ
翻訳ミステリらしい
ファンタスティック
とでもいえそうな
雰囲気がありました。
それに対して
『ある醜聞』の方は
舞台を日本に置き換えても
通用しそうなところがあります。
原作は1969年の発表なのに
話自体はぜんぜん古びておらず
かえって新鮮な気がするから
不思議なものです。
警察官だって
スキャンダルから免れないという
最近しばしば見られる現状を
反映しているからでしょうか。
『消えた犠牲』と違って
まだ新刊で簡単に買えますし
コッブの印象を刷新する意味でも
(といっても『消えた犠牲』は絶版なので
今の読者には印象も何もないわけですけど)
おススメしたい一冊です。