『共犯の女』

(1966/野口雄司訳、

 ハヤカワ・ミステリ、1968.2.15)

 

1960年代後半から70年代にかけて

複数の作品が訳され

その中には映画化されたものもあり

さらには日本でテレビドラマ化されたものが

あるにもかかわらず

今日ではまったく忘れられた作家

というのが何人もいます。

 

その内の1人が、今回ご案内の

ルイ・C・トーマです。

 

『共犯の女』は

そのルイ・C・トーマの

本邦初紹介作品になります。

 

 

と偉そうに書きましたが

自分も読むのは

今回が初めてです。(^^ゞ

 

むかし、古本で買った時は

300円の値付けでしたが

何といっても忘れられた作家、

さらにはフランス・ミステリ

ということもあって

古書価は今でも

さほど変わらないと思います。

 

 

死んだ伯父から遺贈された土地は

所有権が妻の名義になっていたため

妻の死後でないと売却できない。

 

そのため妻の死を偽装し

土地を売却したあと

憧れの土地であるブラジルへ行こう

と夢見ていた小説家の計画が

様々な障害にぶつかって

狂いを来たしていく……

というお話です。

 

 

小説家が立てた計画では

妻の事故死を偽装する一方

当の妻はリオに旅立って

南米で落ち合う予定でしたが

手続きのトラブルで

妻はリオに入国できず帰国する。

 

その妻は嫉妬深いたちで

夫の親友の妹と

自分の夫との関係を疑っており

疑心暗鬼に囚われまくる。

 

親友の妹は妹で

妻は死んだと思っているから

積極的にアプローチをかけてくる。

 

2人の女の想いにはさまれて

小説家は心の休まる時がなく

そんな小説家を追うのが

地方警察の新米警部で

真相を見抜いているわけではないのに

誤った推理を基に小説家を疑う。

 

読んでいる間じゅう

やっぱり小説家に

感情移入してしまうためか

小説家を取り囲む人々を

うざいなあ、めんどくさいなあ

と思うことしきりでした。

 

 

まるで舞台劇のように

少ない登場人物で

心理劇が繰り広げられ

サスペンスを盛り上げるあたりは

いかにもフランス・ミステリらしい

という感じがされる作りです。

 

翻訳で読むとシリアスですが

(シリアスに訳してありますし)

舞台劇にした場合

シリアス劇ではなく

ユーモラスな喜劇になるんじゃないか

と感じさせるような要素も

なくはない、とか思ったり。

 

モテモテの男が

それ故に苦労する

犯罪喜劇

といった感じですかね。

 

 

おそらく本書が書かれ

訳された当時であれば

女子(と小人)は養いがたし

という文脈で受け取られたのでは

と想像されます。

 

女を共犯者にしちゃいけない

というような

したり顔の書評が出ていても

おかしくないくらいですが

現在では、そう短絡的には

書けないでしょうしね。( ̄▽ ̄)

 

 

ちなみに

小説家の立てた計画には

死体がどうしても必要なんですけど

その死体の調達方法が

ちょっと、東野圭吾の某長編を

思わせるところがありました。

 

その東野圭吾の長編をめぐって

ミステリ業界で議論が起きたとき

一部の論者が問題にした

「見えない存在」についての批判が

本書に応用できそうな気もしたり。

 

 

ところで

本書の裏表紙と巻末解説に

「1966年度フランス推理小説大賞に輝く」

「一九六六年度のフランス推理小説大賞を受賞」

と書いてありますけど

松川良宏が執筆した

「非英語圏ミステリー賞あ・ら・か・る・と

第3回 フランス編」によれば

どうやらこの年度の受賞作では

ないようです。

 

確かに手許の資料や

フランス語版 Wikipédia を

確認してみても

受賞したとは書かれていません。

 

受賞作ではなく候補作

ということなんでしょうかね。

 

この間違いが

一部の資料でも

踏襲されているようですので

付け加えておく次第です。

 

 

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