(1961/大久保和郎[おおくぼ かずお]訳
ハヤカワ・ミステリ、1963.5.31)
ユベール・モンテイエの2作目ですが
翻訳は『かまきり』よりも先なので
こちらがモンテイエという作家の
本邦初紹介となります。
予審判事から
母親が不審死を遂げた娘へ、
その母親が遺していた日記と共に
それを読むことで事件の真相は
明らかになるように思われる
という言葉を添えた手紙が
プロローグ。
続く次の章から
第2次世界大戦が終わり
強制収容所から生きて帰還した
ユダヤ人の女性医師
エリザベート・ヴォルフが綴る
日記という形で
物語が進行していきます。
帰還したエリザベートは
夫に再会する前に
やつれた外見を整えようと
思っていたのですが
ある日、夫と再会した時
夫は自分の妻だと気づかず
奇妙な提案を持ちかけてきます。
法的な縛りがあって
夫の自分も娘も
妻の財産を受け継げないので
帰還した妻に成り代わり
法的処置をとってほしい
というのでした。
その話を聞いたエリザベートは
自分が妻であると打ち明けず
夫の提案に乗って
「エリザベート」に成り済ます
訓練を始めるのですが……。
自分で自分に変装するなんて
江戸川乱歩が読んでいたら
さぞかし面白がったことでしょう。
翻訳されたのは
乱歩の亡くなる2年前であり
高血圧症にパーキンソン病を併発して
療養中だった頃でもあるので
おそらく読んでいないでしょうし
読もうにも読めなかったのではないか
とは思いますけれど。
プロローグで
エリザベートの死が示唆されるため
日記がその死に至る背景を示し
日記が終わった後に
おそらく殺人であろう
その死の状況が描かれて
犯人が確定される
という結末かと思いきや
話はどんどん逸脱していきます。
最後まで読めば
なぜ死んだのか
また誰が殺したのかは
はっきりしますけど
(暗示されるだけですけどね)
当り前のフーダニット
(犯人当て小説)を期待したら
肩すかしを食らうこと間違いなし。
巻末の解説をみると
モンテイエが大学教授だと紹介し
大学教授が書いたミステリの短所は
「あまりにも自分の趣味に
おぼれすぎる結果、
読者が面白く思おうが思うまいが
かまわない、
つまり読者へのサーヴィスを
忘れてしまっていること」(p.152)だ
と書かれています。
続けて
モンテイエはその弊を逃れており
それは本書を読めば明らかだ
というんですけど
『帰らざる肉体』を読むと
モンテイエの趣味全開で
読者に置いてきぼりを
喰らわしている
というのが
正直な感想だったりします。
特に後半の
エリザベートと夫との間で交わされる
行為と罪をめぐるやりとりは
宗教的かつ哲学的で
訳文があまりこなれていないためか
議論のポイントや結論が
すっと腑に落ちる感じではありません。
少なくとも自分には禅問答のようでした。
当の本人が自分を演じさせられる
というシチュエーションは
面白いんですけど
それがエンターテインメント的な方向へと
展開していかないという
歯痒さを感じさせる作品でした。
何がエンターテインメントなのかは
人によって違うので
本書を読んで愉しめる人も
いるかもしれませんけど。
ハヤカワ・ミステリではこのあと
4作品が訳されており
Wikipedia によれば
「ブラック・ユーモアを主体とした
長編ミステリも発表している」のだとか。
『帰らざる肉体』も
読みようによっては
ひねくれたユーモアが
感じられなくもないんですけど
本書はブラック・ユーモア系と
見なされていないようです。
Wikipedia であげられている
ブラック・ユーモア系の代表作は
あいにくと手許にはなく
古本で手に入れてまでして
ブラック・ユーモリストぶりを
確認してみるべきかどうか
懐具合のよろしくない今日この頃なだけに
悩ましいところです。