ちょっと必要があって
平石貴樹のエッセイ集
『一丁目一番地の謎』を読みました。
(松柏社、2019年7月1日発行)
ご存知の方も多いかもしれませんけど
平石貴樹はアメリカ文学研究者ですが
1983年に『虹のカマクーラ』で
第7回すばる文学賞を受賞して
小説家としてデビュー。
デビューの頃から
ミステリへの関心が深く
『笑ってジグソー、殺してパズル』(1984)で
更級ニッキという探偵を登場させ
その後はミステリ寄りの作品を中心に
執筆活動を続けています。
奥付上の著者略歴には
『虹のカマクーラ』以外の小説が
近年、創元推理文庫から精力的に刊行している
松谷警部シリーズの書名しかあがっておらず
いささか驚かされた次第です。
せめて
『笑ってジグソー、殺してパズル』ぐらいは
あがってても良かったと思うんですけど。
本書には
1984年から2017年までの間に
各種媒体に発表されたエッセイが
収録されています。
中には
ミステリに関するエッセイも
含まれているので
購入して読んでみた次第です。
そうして読み進めていたら
「谷崎潤一郎の『細雪』」(2008)
という文章で
「舟橋聖一」が「船橋聖一」に
なってました。(´∀`;)
その前に入っている
「『誤植』という贅沢」(2002)
という文章で
誤植を見つけると寿命が縮むという
知り合いの編集者のことが
書かれていただけに
おやおやと思った次第。
それだけなら
笑ってスルーすれば良くて
わざわざブログに書くことでもないんですけど
最近やっぱり同じ誤植を見つけたことが
記憶の片隅に残っていたのでした。
何だったかなあとしばらく考えて
北上次郎の『書評稼業四十年』だったことを
思い出しました。
(本の雑誌社、2019年7月20日発行)
同書に収録された
「中間小説の時代」という章の中で
「船橋聖一」とやらかしてます。
その誤植は146ページなんですが
151ページではちゃんと
「舟橋聖一」となっているので
こりゃうっかりミスですね。
北上次郎の本で
同じ誤植があったことを思い出すと
平石貴樹の本に同じ誤植があることは
同じ7月刊の本なだけに
妙な因縁を感じます。
それくらい
舟橋聖一という作家が
忘れられているということかと
しみじみさせられもします。
(パソコンのワープロ変換では
正しく出るんですけどね)
念のため付け加えておくと
両書とも面白かったです。
平石貴樹の本は読み終えたばかり
ということもあって
印象がまだ鮮明なんですけど
「二〇世紀前半アメリカ小説管見」(1998)で
20世紀のアメリカ小説を代表するベスト10の中に
エラリー・クイーンの『Yの悲劇』を
入れようとしているところが
興味深い。
結局、入れていないので
コメントがなく
なぜ『Yの悲劇』が
ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』
フォークナー『八月の光』
ヘミングウェイ『日はまた昇る』
フィッツジェラルド『夜はやさし』
等々と並ぶのかを
エッセイの内容を汲み取って
自分で考えなくちゃいけないわけですけど
そこがまた愉しいわけでしてね。
あと
「アメリカ小説の登場人物たち」(2007)なんかも
読んでトクした気分になりました。
ところで平石貴樹は
フォークナー研究者でもあるので
フォークナー研究に見られる
新しい研究法によるイデオロギー批判に対し
それって文学研究じゃないじゃないか
というような憤慨や再批判も収録されており
それらは痛快であると同時に
興味深かったです。
ちょうどアグネス・チャンが
朝日新聞 GLOBE+ の連載で
スタンフォード大学に行っている時
差別について学んだ経験を書いてますけど
(https://globe.asahi.com/article/12889098)
そこで教授や学生たちが示したイデオロギーと
新しいフォークナー研究者たちの姿勢とは
通ずるところがあるような気がしました。
スタンフォードで学んだという
差別に気づかない人間は差別に荷担している
という考え方は納得できるものですが
それが極端な形で現われると
短絡的なフォークナー批判のようなことにも
なるのではないかと思ったわけです。
アメリカはPCに対する姿勢が
極端になりがちな国だと思いますけど
そんな国で流行している新しい研究の尻馬に乗って
批判して事足りると思っている日本人研究者、
それが文学研究者を僭称していることへの不快感
みたいなものが平石の文章から伝わってきます。
結局文学が読めてない輩だろうと
文学的に読むとはどういうことかも示しつつ
いっているわけですけど
それを読むと自分なんかは
なるほどなあと深く納得するわけですが
いかがでしょう。
誤植の話題から
大きく話がズレちゃいました。(^^ゞ
ちょうど今
創元推理文庫から再刊された
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一の
『深夜の散歩』を読んでいるんですが
平石貴樹にこういうのを任せたら
面白いのではないか
とか思ったり。
平石貴樹が
ミステリについて書いている文章は
『深夜の散歩』で
中村真一郎が書いているものと
似た手触り(?)を感じたものですから。