平成最後の夜は
塾の会議があるため
大宮まで遠出しました。
令和最初の本日は
いつも通りの遅い目覚めとなり
仕事関連の読書やらゲラの照合やら
やることがいっぱいというか
いつも通りの一日となりそうです。
そんな、いつもと変わらない日常ですが
ちょっとお祭り騒ぎに便乗したくなり
(まったくミーハーにも程がある)
平成の終わりから令和の始めにかけて
津田左右吉[つだ そうきち]の
『日本の皇室』を読むことにしました。
(中央公論新社 中公クラシックス、2019.1.10)
原著は1952(昭和27)年に上梓されたもので
今回、装を改めて刊行するにあたり
原著に収められていない五つの論文が増補され
早稲田大学教授・真辺将之の解説(序文)が
付せられています。
原著自体は
戦後、いろいろな雑誌に発表した論文を
まとめたもので
第2章に当てられている
「元号の問題について」に
(これ自体は公演の記録ですが)
興味を抱き、買っておいたものです。
1952年に刊行された本であり
増補された論文も
1920(大正9)年に発表されたものと
生前未発表のものとの2編を除き
1946年から1958年にかけて
諸方の雑誌に発表されたものなので
時代的なバイアスがかかっていることは
いうまでもありません。
ただ、むしろ
時代的なバイアスのかかったものを
読みたいと思っていたのでした。
津田左右吉といえば
『文学に現はれたる我が国民思想の研究』
(1917〜21[大正6〜10])
という著書で知られており
その岩波文庫版を自分も持っています。
例によって持っているというだけで
いまだに目を通しておりませんが。(^^ゞ
いわゆる日本近代文学と絡むわけではなく
古代史文献の研究が主であるため
目を通す機会がなかったわけですが
大正時代に、記紀は神話であるとして
戦前の皇国史観を明確に批判したことを
今回の本の解説を読んで知り
ちょっと認識を改めてしまいました。
1939(昭和14)年に
東京帝国大学で講義を行った際は
批判的質問の嵐だったそうですが
その際、助手の丸山真男に
「ああいう連中がはびこると
それこそ日本の皇室はあぶないですね」
(pp.8〜9)と漏らしたことを
真辺が丸山の文章を引いて伝えています。
時代が変わっても
状況はあまり変わっていない
という気がするのは
これは自分の僻目でしょうか。
平成最後の一日と
令和最初の本日は
上に書いた通りのありさまでして
退位の儀も即位の礼も
その中継をオンタイムで観ることが
できませんでした。
が、ネット時代のありがたさ、
ツイッターでリツィートされた映像が
タイムライン上にあがっていたため
遅ればせとはいえ
視聴することができました。
興味深いのは
津田が再三再四繰り返し述べている
象徴としての天皇のありようや
国民との関係性と
退位の儀や即位の礼において
上皇や今上天皇が述べられたお言葉から
自分が感じとったところの
天皇としてのありようや国民との関係性とが
重なっているように感じられたことです。
津田史観に通じていない素人の印象なので
違うという人もいるかも知れませんけど。
興味を持たれた方がいましたら
津田の本を一読されてみては
いかがでしょうか。
ちなみに誤植? と思しきところが
3ヶ所ほどあることに気づきました。
32ページ・後ろから5行目
「ただ聞の上で見たのみで」とあるのは
「ただ新聞の上で」の誤植っぽい。
96ページ・後から2行目に
「天皇は実験を」とありますが
これは「天皇は実権を」の
間違いではないかしら。
144ページ・後ろから1行目
「(天官書にいう……」
と始まる文章に対応する
閉じカッコが見当たりませんけど
これはカッコをトルということで
いいのかも。
いずれも一読すれば
誰でも気づくことですので
蛇足になるかもしれませんけど
メモ代わりに記しておく次第です。