(BMGジャパン BVCC-38001、1998.12.16)
レオポルド・ストコフスキー・コレクションの第1巻。
昨日、答案を届けたあとに寄った
横浜のディスクユニオンで
見つけたものです。
ストコフスキーの編曲になる
「トッカータとフーガ」といえば
ディズニー映画の
『ファンタジア』(1939)に使われており
もっとも人口に膾炙した
バッハの編曲ものだと思います。
もっとも
正規のスタジオ録音は
1927年にまで遡るようで
そこから始まって
正規盤以外のものも含め
十指にのぼる録音が
残されているようです。
本盤に収録されているのは
生前最後のものだとか。
演奏はロンドン交響楽団で
録音はすべて1974年。
レーベルはRCAレコードで
発売当時、BMGの子会社だったため
BMGジャパンからリリースされました。
詳しい変遷は
Wikipedia のRCAの項目を
参照ください。
近年は古楽演奏が定着した影響で
オーケストラ用に編曲されたバッハは
演奏される機会が減ったかと思います。
自分も古楽好きなので
あまり購入意欲は湧かなかったのですが
逆に歴史的音源としての興味はあり
お手頃価格だったので購入した次第。
「トッカータとフーガ」の他に
無伴奏ヴァイオリン曲として有名な
「シャコンヌ」や
G線上のアリアのオーケストラ版
さらには、小学校の音楽の時間の音楽鑑賞で
オルガン演奏を聴き
バッハが好きになるきっかけとなった
小フーガも収録されていて、びっくり。
「トッカータとフーガ」のフーガは
怪獣映画の劇伴を聴いているようで
当方が特撮ファンであるだけに
改めて聴いていると
なんだか、くすぐったい感じ。( ̄▽ ̄)
古楽演奏が普及した現在
この手の編曲ものは
オーセンティックな演奏
とは見なされません。
バロック時代の楽曲は
楽器に特定されず
さまざまな編曲が行なわれましたし
バッハ自身も編曲して
使い回しています。
ですから
バッハもオーケストラがあれば
オーケストラ用に編曲したろうという意見
(ストコフスキーもそう考えてたっぽい)も
まったくの暴論ではないのですけど
ロマン派以降の文法に則ったかのような
ゆっくりめのテンポと
必要以上に盛り上げる表情づけには
やっぱり個人的には違和感を覚えます。
まあ、だからこそ
(ストコフスキー・ファンの人には
申し訳ないのですけど)
自分にとっては歴史的資料であり
参考音源以上のものではないわけです。
もっとも
1927年の初録音と今回のとで
テンポや表情がどれだけ違うのか
ちょっと聴き比べて観たい気もしますけどね。
あと、『ファンタジア』で
どういう使われ方をしているのか
観てみたいかも。
(観たことないのか! と
お叱りを受けそうですが【^^ゞ )
ライナーには
ストコフスキーの年譜と
これまでに録音した
バッハ作品のリストが載っていて
これは重宝しそうです。
1951年リリースのLPに載っていた
ストコフスキー自身の楽曲解説も
該当曲だけですが、再録されており
資料として貴重。
ストコフスキーが書いている
バッハの時代の楽器は
「我々が演奏する楽器に比べて、
かなり劣っていた事実は否めない」(木幡一誠訳)
という認識が誤解であることを証明したのが
古楽演奏の歴史であるわけです。
ストコフスキー自身による
1951年のライナーには
無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌなど
優れた演奏家の手にかかれば
忘れがたいものになるが
そんな演奏家の数も機会も限られており
この傑作を「家庭で音楽を楽しむ
人々の耳に届ける」ために
オーケストラ用に編曲した
というようなことも書かれています。
こういう啓蒙主義的な姿勢は
いかにもアメリカの市民権を得た人らしい
という感じがしますね。
(ストコフスキー自身はイギリス生まれ)
1950年代のアメリカというのは
こういうファミリー向けの発想が
産業資本というか、企業の論理というか
そういうものと結びついた時代でもあったことを
思い出させもします。
こういう録音を聴き
百科事典を揃えるような家庭に
バッハの名前が
教養のひとつとして
浸透していったのかなあと想像すると
時代の流れを感じさせるものがありますね。
時代思潮を偲ばせるというか。
ちなみに本盤の最後に
「トッカータとフーガ」の
リハーサル音源が収録されています。
自分には猫に小判かもしれませんが
クラシックのマニアには
嬉しいボーナストラックかも。