『金曜日ラビは寝坊した』文庫版

(1964/高橋泰邦訳、

 ハヤカワ・ミステリ文庫、1976.4.30)

 

ちょっと必要があって

読み返しました本ですが

実は読み返すのは

中学生以来かもしれません。

 

中学生以来というのは

奥付から判断してなのですが

新刊で買ったかどうかも

実はよく覚えてないんですよね。( ̄▽ ̄)

 

 

アメリカはニューイングランドの

架空の郊外都市を舞台に

ユダヤ人の宗教指導者

キリスト教でいうと

神父か牧師に相当する

新任の若き「ラビ」

デイヴィッド・スモールを

探偵役に据えたシリーズの第1作で

アメリカ探偵作家クラブ(MWA)新人賞受賞作。

 

もともとは早川書房の

ポケット ミステリ シリーズ

通称ポケミスの一冊として

1972年に邦訳されたものですが

オビの惹句からもお分かりの通り

ハヤカワ・ミステリ文庫の

創刊のラインナップに

加えられたのでした。

 

後にカバー装画を改めた新装版も出ています。

 

 

60年代から70年代にかけてに登場した

数少ない本格ものの書き手として

支持された作家の一人なのですが

今ではすっかり忘れられた観があります。

 

同じ作者の短編集

『九マイルは遠すぎる』(1967)は

よく知られていますので(たぶんw)

忘れられたと書くと

語弊があるかもしれませんけど

ラビ・シリーズはあまり読まれていない

という印象があるものですから。

 

 

中学生の頃、初めて読んだときは

あまり面白いとは思いませんでした。

 

というのもこのシリーズ

解説を寄せている都筑道夫の分析によれば

「ユダヤ風俗小説のなかに、

本格短篇をはめこむのが、

ケメルマンの作風」(p.288)

ということになりますので

そのユダヤ人コミュニティを描いた

風俗小説部分が楽しめなかったんでしょう。

 

これがアガサ・クリスティーの書くような

メロドラマ テイストの風俗小説であれば

ミステリ好きの中学生にも

付いていけたわけですが

ユダヤ人コミュニティにおける

新任ラビの苦労なんていうのは

退屈に感じられてもしょうがないというか。

 

 

さすがに馬齢を重ねると

ユダヤ人だけでなく

カトリックやプロテスタントが混ざった

コミュニティ内の人間関係における

政治的バランスなんていうのとか

差別に基づくファシズム的な動きや

それに対するカウンター、

ユダヤ教を踏まえた宗教的議論なんていうのも

(最近、田川建三の本にハマっていることもあり)

小説として、そこそこ楽しめるわけですね。

 

名探偵の紹介するガイド本などで

ラビ・スモールの推理法として

しばしば紹介されていた

ピルプル論法(p.214)なんていうのを

久しぶりに目にして懐かしかったです。

 

 

その一方で

冒頭に出てくる

協会員同士のトラブルを収めるための

ディン・トーラ(聴聞会)なんていうのは

すっかり忘れていました。

 

シャーロック・ホームズが

作品の冒頭でよくやってみせる

読心術のような位置づけで

ラビの能力を示すエピソードみたいなものか

とか思ったり。

 

 

ミステリとしての出来栄えは

本格ものというわりには今ひとつ

推理の冴えのようなものが

感じられない気がしました。

 

名探偵の見栄切りのような

大向こうをうならせるような派手さが

感じられなかったというか。

 

それは都筑が解説で書いているように

犯人が「ファンタスティックなトリックを

弄している作品」(p.289)ではないから

ということもあるんでしょう。

 

被害者の服装に矛盾を見出し

その矛盾を解消するような形で

論理を組み立てていったり

被害者はなぜラビの車に放置されたか

というところから推理を展開する

というあたりは

いかにも当時の都筑が好みそうな

小味な推理の面白さが

出ている気もしますけど。

 

都筑は

「一九四〇年代からの三十年間で、

推理小説はロマンティシズムからリアリズムへ、

完全に移行している」(p.289)

とも書いてますけど

これによって鑑みるに

自分はまだまだロマンティストのようです。

 

 

なお、オビ裏には

ハヤカワ・ミステリ文庫創刊に寄せる

海外ミステリ作家の祝辞

というのが載ってます。

 

『金曜日ラビは寝坊した』文庫オビ裏

 

これは、確か当時

フライヤーに載っていたものの

抄録かと思いますけど

その錚々たる面子には

感動させられると同時に

往時を偲ばせて

しばし感慨にふけってしまいました。

 
 
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