『矢の家』(旧カバー)

(1924/福永武彦訳、創元推理文庫、1959.5.25)

 

手許にあるのは

1975年6月20日発行の第19刷です。

 

 

メースンといえば

『矢の家』というくらい

彼が書いたミステリの代表作として

よく知られている作品ですけど

近年は、再評価の機会が

あまりないようです。

 

自分も読むのは

中学生のころ以来かもしれません。

 

 

『薔薇荘にて』(1910)に登場した

アノー探偵のシリーズ第2作にあたりますが

ワトスン役のリカードウは登場せず

イギリスの法律事務所の

若い共同経営者が渡仏し

フランスに住む顧客のために

アノーの捜査に協力するという話です。

 

『薔薇荘にて』よりも

100ページほど長いストーリーで

そのためかあらぬか

『薔薇荘にて』に比べると

やや物語の展開に

スピーディーさが欠ける気がします。

 

どうして100ページも

余計に必要だったのかは

真相が分かってみれば

理解できないこともないのですけどね。

 

 

それと、今回の登場人物の

関係というか設定が

ある部分において

『薔薇荘にて』を

踏襲しているようなところもあり

そのために犯人の見当がすぐついてしまう

という嫌いがあります。

 

『薔薇荘にて』から

10年以上経ってからの発表なので

プロットの相似には

あまり気にされてなかったかも

しれないですけどね。

 

 

本作品は

子ども向けの推理クイズなどに

しばしば使用されてきた

ある有名な錯覚トリックの

元ネタとしても

有名かと思います。

 

そのトリックのことしか

覚えていなかったため

アノーがそもそもの捜査の対象としていた

中傷の手紙 poisoned pen テーマのことは

すっかり忘れてました。

 

中傷の手紙テーマというのは

往年のミステリではよく見られたネタです。

 

すぐに思い浮かぶのは

ドロシー・L・セイヤーズの

『学寮祭の夜』(1935)で

他にアガサ・クリスティーも

『動く指』(1943)で扱ってますし

日本では横溝正史が

『毒の矢』(1956)や

『白と黒』(1961)などを

書いています。

 

それだけに

ちょっと懐かしい感じのする

テーマなのですけど

『矢の家』もそうだったとは

思いもよりませんでした。

 

 

もっとも

現代のミステリであれば

中傷の手紙テーマに関して

なぜそういう手紙を出したかという

犯人の心理が充分に描かれるはずですが

『矢の家』の場合は実にあっさりしており

現代のミステリを読みなれた方には

物足りなさを感じるかと思います。

 

中傷の手紙というネタは

本作品の場合

アノーの出馬を促し

犯人が正体をさらす手がかりとなる

というプロット上の要請に

ポイントがありますので

そこに注目して読めば

作者の手筋の見事さが分かり

感服されるのではないかと思います。

 

 

今回、再読して

気づいた点としては、もうひとつ

S・S・ヴァン・ダインの

『グリーン家殺人事件』(1928)が

本作品の影響を強く受けている

ということでした。

 

これについては

先に紹介した『薔薇荘にて』の解説でも

指摘されていますので

新発見でも、卓見でも

ないのですけど。(^^ゞ

 

具体的には

暗闇の中で犯人の顔にさわった

という証言が

『グリーン家』を

強く連想させるのでした。

 

『グリーン家』はまた

エラリー・クイーンの

『Yの悲劇』(1932)に

インスパイアを与えていることは

都筑道夫が指摘して以来

よく知られている通り。

 

都筑は

『グリーン家』に出てくる

暗闇で犯人の顔にさわる場面を

『Y』で上手くリテイクしていると

指摘していましたけど

そもそもは『矢の家』で

効果的に使われていたわけですから

(クイーンの狙いとは異なるとはいえ)

『矢の家』→『グリーン家』→『Y』

という流れで一巡したことになるのが

ちょっと興味深いところでした。

 

 

戦前の評論家であり

翻訳もこなした井上良夫が

『矢の家』を評して

再読でこそ面白さが際立つ

と書いてますけど

それにはまったく同感です。

 

井上良夫が指摘する通り

本作品で描かれているのは

犯人の緻密な計画犯罪を

名探偵が暴くという話ではなく

名探偵の登場とともに

犯人が弥縫的に策を弄するという話なので

再読すると

探偵と犯人との間で繰り広げられる

丁々発止のやりとりがよく分かり

サスペンスも感じられるし

楽しめるというわけ。

 

緻密な犯罪計画を破る話を求める方には

かったるい話かと思いますけど

読みのポイントをズラすと

無類の面白さを感じられるかと思います。

 

 

そういう、探偵と犯人とのやりとりは

昔なら「心理闘争」と

堅苦しく呼ばれたものですが

見方を変えれば

犯人の慌てぶりを楽しむ、という

いじわるな読み方も

できるわけです。

 

評論家の瀬戸川猛資が

『夜明けの睡魔』(1987)で

本作品について

オフ・ビートなユーモアを

賞揚しているのも

そういう視点からすれば

納得できないこともないわけですね。

 

 

以上、備忘も兼ねて長々と

いろいろと書いてきましたが

最後に、もうふたつほど。

 

本作品の翻訳を

あの福永武彦が手がけている

というのも

文学好きの方には

重要なポイントかもしれません。

 

そして装幀ですが

カバーの全体はこんな感じ。

 

『矢の家』カバー全体

 

右側面と右下、左下の

白い部分は

印刷ミスではなくて

作中に出てくる

暖炉で発見された

書類の燃え残りをふまえています。

 

この装幀を手がけたのが

司 修だというのも

文学好きの方にとっては

堪らないところではないでしょうか。(^_^)

 

 

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