(1910/富塚由美訳、国書刊行会、1995.5.10)
国書刊行会から出ていた
『世界探偵小説全集』の
第6回配本にあたる第1巻です。
ちょっと必要があって読み直しました。
『世界探偵小説全集』が刊行された当時
現在のように
いわゆる黄金時代のクラシックは
一部の大家を除けば
簡単に読める時代ではありませんでした。
(時世時節で、今はまた
簡単に読めないかもしれませんけど)
戦前に抄訳されたきりの長編や
参考書などで名のみ有名な
未訳長編が、たくさんありましたし
刊行が予告されたまま
それきりになった未訳長編も多く
翻訳でしか読まない/読めない
自分のような海外ミステリのファンは
いつ訳されるとも知れない長編が
いつの日か訳されることを
願ってやまなかったものでした。
そんな中、
戦前に抄訳されたままだった
アントニイ・バークリーの
『第二の銃声』(1930)を第1回配本に
刊行が始まった国書刊行会のシリーズは
まさに、自分のような
原書を読まない(読めない)愛読者にとって
夢のような叢書だったのです。
閑話休題。
『薔薇荘にて』は
戦前に、抄訳で刊行されていますし
たまたまそちらで持っていましたが
出た当時は待望の完訳ということで
貪るように読んだ記憶があります。
そして意外と面白かった記憶があります。
なぜ面白かったのかといえば
犯人の正体が実に意外だったからで
その意外性は
ある種の物語を読むと
ある種の展開を期待するという
読み手の物語感覚とでもいうものを踏まえ
プロットが立てられていることに拠るもの
というふうに考えられます。
いってみれば
心理的なトリックが
仕掛けられているわけですね。
何で読んだのだったか
『薔薇荘にて』は、
エミール・ガボリオの
『ルコック探偵』(1869)や
コナン・ドイルの
『緋色の研究』(1888)のように
犯人が分かった後
物語の時間をさかのぼって
事件の背景(遠因)を語り直すという
古風なスタイルを採っているので、
メイスンの代表作とされている
『矢の家』(1924)よりも
出来が劣るという話でした。
ところが
実際の作品を読んでみると
確かに時間軸が過去にさかのぼるものの
ガボリオやドイルのように
現在の事件の遠因をなす
過去の出来事を語る
というスタイルではなく
事件がどのようにして起きたかという
再現ドラマに近いものでした。
遠い過去にさかのぼる遠因などはないので
遠因を語り直す必要はないわけです。
いってみれば
捜査側のストーリー軸からは見えない
近過去の出来事を語り直す
というスタイルだったのでして
それによって犯人側のキャラクターが
事件の展開に即して際立つ
という効果が生じているような気がします。
いわゆる本格ミステリという視点からは
アノー探偵が重要な手がかりを
読者に伏せているため
今日、重要な評価軸となっている
フェア・プレイの観点からすれば
出来栄えは今ひとつと
いわざるを得ないかもしれません。
長椅子に残された
クッションの状態の客観描写なども
不充分だといわざるを得ない。
それでも
犯行の再現ドラマを
読んだ時に感じるサスペンスや
その際の、犯人のキャラの立ち具合は
いささか古風ではあるにせよ
それを補ってあまりある
面白さだと思います。
それと
今回、読み直して
アノー探偵が巻き尺や
拡大鏡を使うシーンでは
シャーロック・ホームズを
意識していることが
よく分かりました。
それと同時に
ワトスン役のリカードに対する
アノーの態度やふるまいからは
アガサ・クリスティーが
エルキュール・ポワロを造形する際
何がしかの影響を及ぼしているだろう
ということを
強く感じさせられました。
ポワロへの影響については
自分の達見というわけではなく
すでに田中潤司によって
指摘されていることですけれど。
あと、興味深かったのは
舞台がフランス
ということもあるからなのか
自動車と馬車という
ふたつの交通手段が
同時に利用されている
時代状況が読みとれること。
初刊の1910年当時
もちろんすでに
自動車は発明されていますけど
当時、イギリスのミステリにおいて
自動車が描かれることは
意外と少なかった
という印象があります。
たとえば
ホームズ・シリーズに
初めて自動車が出てくる
「最後の挨拶」が発表されたのは
1917年のことでした。
それに対して
アルセーヌ・ルパン・シリーズに
自動車が初めて登場する
「不思議な旅行者」は
1907年に発表されています。
さらにいうなら
自動車をアリバイに利用した
たぶん史上初のミステリは
フランスの某作家の長編で
それが発表されたのは1881年です。
ついでながら
アンクル・アブナー譚の作者
M・D・ポーストの創造した
ランドルフ・メイスン以外の
シリーズ・キャラクター
パリ警視総監ムッシュー・ヨンケルが登場する
短編「塵除け眼鏡」が発表されたのは
1913年のこと。
かほどさように
フランスを舞台にしたミステリと
自動車とは、深い関係があるのでして
『薔薇荘にて』も
その証左となる作品であると
知ることができたのは
ラッキーでした。
古典を読み直すと
こういう発見があったりするから
楽しいですね。(^_^)