『反逆者の財布』

(1941/中川龍一訳、創元推理文庫、1962.6.1)

 

アリンガムは

『屍衣の流行』(1938)のあと

1年おいて1940年に

Black Plumes という長編を

発表しています。

 

この長編に

アルバート・キャンピオンは

登場しません。

 

そのあとに刊行されたのが

今回の『反逆者の財布』で

こちらには再び

キャンピオンが登場します。

 

 

『反逆者の財布』は

初期の、冒険小説風の作品に

戻ったかのような内容で

国家を揺るがす陰謀を防ぐため

キャンピオンにアマンダも加わって

奮闘する話です。

 

ところがキャンピオンは

何者かに頭を殴られて記憶喪失になり

本来の使命の内容も忘れてしまい

それをアマンダにも隠しながらの

調査となります。

 

アマンダの方はまた

事件調査のために訪れた土地の

研究所の所長に惚れ込んでしまい

キャンピオンとの婚約を

解消したいと言い出すという

驚きの展開。

 

それでも使命は使命として

キャンピオンの忠実な助手を

務めるのですが

キャンピオンはキャンピオンで

記憶喪失という事情を明かして

同情で引き止めることは

潔しとしないと考えているため

読んでいる方は、何とも

もどかしい思いにかられるというわけ。

 

今回が再読ですが

キャンピオンが記憶喪失になる

という設定以外

内容はすっかり忘れていましたので

実にもどかしい思いをするとともに

ハラハラドキドキさせられました。

 

 

本作品が訳されたのは

ハワード・ヘイクラフトの

『娯楽としての殺人』(1941)中に

言及されているだけでなく

翻訳が出た1960年代が

007映画がヒットしたことに端を発する

スパイ小説のブームだったことも

与っているのではないか。

 

と思ってたんですけど

ブームのきっかけとなった

『007は殺しの番号』の公開が

1962年なので

本作品の邦訳が出た頃は

まだスパイ小説ブームではないですね。

 

じゃあ、なんで訳されたのか

ちょっと不思議な感じ。

 

 

翻訳が出た当時の書評に

記憶喪失ものはありふれている

というのがあったと思いますけど

1941年の時点ではどうか

という観点から評されるべきでしょう。

 

同じ記憶喪失ネタでは

コーネル・ウールリッチの

『黒いカーテン』が1941年、

パトリック・クェンティンの

『悪魔パズル』が1948年ですから

翻訳されたものに限ってですけど

(しかも、自分の知っている範囲ですが)

早い時期の1冊といえそうです。

 

ついでながら

ヒッチコックの『白い恐怖』は

1945年。

 

 

キャンピオンが記憶喪失になることで

事件の全容が曖昧になり

名探偵が何をやっているのか

自分でも分からないというのは

何が起きているのか分からない

ということと併せて

サスペンスを高めるのに

効果をあげているように思います。

 

さらに

一種の騎士道精神も加わり

アマンダのような優秀な協力者にも

何も言わないわけですし

そのアマンダの心が

キャンピオンから離れていきそう

というわけで

シリーズを読み続けてきた

イギリスやアメリカの読者は

やきもきさせられたのではないでしょうか。

 

 

今回の経験を通し

キャンピオンはアマンダを

何ものにも代え難い存在として

意識するようになります。

 

それを鑑みるに

作者のアリンガムもまた

単なる物語上の要請やお約束だけで

二人を結婚させるべきではない

と思ったのかもしれないと

考えさせられます。

 

同じ時期の作家で

同じく年を重ねる設定にして

同じく作中でヒロインと結婚する

名探偵を描いた作家に

ドロシー・L・セイヤーズがいます。

 

セイヤーズが創造した

ピーター・ウィムジー卿は

『毒を食らわば』(1930)で知り合う

女性推理作家のハリエット・ヴェーンと

『学寮祭の夜』(1936)で

ようやく結婚するのですけど

ハリエットが結婚を承諾するまでの経緯が

『学寮祭の夜』事件と絡み合いながら

延々と描かれることになります。

 

アリンガムの場合は

女性の自立とか

男女の関係の対等性とか

そういう、新しい「思想」とは無縁で

よりロマンチックに

伝奇小説風に描かれますけど

それでもやっぱり

物語のパターンだけで済ませたくない

という想いがあったのかなあと

思ったりしました。

 

 

翻訳は

少々古臭い、というか

堅苦しい。

 

特にアマンダの会話文は

2000年代に入ってからの翻訳で

アマンダに親しんだ読者なら

違和感ありまくりでしょう。

 

全体的な雰囲気は

アガサ・クリスティーが

アリンガムの特徴としてあげた

「幻想性と現実感が混在する味わい」を

感じさせられる

実にアリンガムらしいものなので

翻訳も入手しにくいことですし

ぜひ新訳してほしい1冊です。

 

 

ところでちなみに

創元推理文庫の

奥付の発行年月日は

自分の生年月日と同じ、

ぴったり重なります。

 

『反逆者の財布』奥付

 

自分と同じ誕生日の本が

大好きな作家の一人

アリンガムの本だという偶然を

実に幸せなことだと

思っている次第です。(^_^)v

 

 

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