(2006/玉木亨訳、創元推理文庫、2017.6.30)
特に意識したつもりも
ないのですけど
ジム・ケリーの作品は
これまでにも当ブログで
2回、取り上げています。
それらと同様に
本作品は
地方都市の新聞記者
フィリップ・ドライデンが
謎解き役を務めるシリーズの
第4作となります。
今回は
1974年の休暇村での出来事と
2005年の地方都市での出来事とが
並行して描かれていきます。
2005年の時系列が
メインのストーリーですけど
それと1974年のストーリーとは
どういうふうに関係していくのか
というのが前半を読み進める
読者側の興味の焦点となります。
(少なくとも自分はそうでした)
2005年に起きる事件で
閉所恐怖症の男が
窓を開け放って凍死した状況を
些細な矛盾から
殺人ではないかと疑うあたりは
ミステリとして
なかなかキャッチー。
それとは別に
冒頭で読者に向けて
沼沢地帯での殺人が
描かれるのですけど
これら二つの殺人事件の
関連性が明らかになるまで
470ページ中の半分ほどを使い
丁寧に描かれていきます。
ドライデンの扱う
いくつかのニュースが
意外なつながりを示していくまでの
悠揚迫らぬ筆致は
読みどころのひとつ。
ではありますけど
のんびりしすぎだと
思う人もいるかも。σ(^_^;)
ドライデン自身が謎の犯人に襲われ
事件と調査の方向性が
はっきりしてからは
テンポよく進んでいきます。
このテンポの良さが
前半の悠揚迫らぬ筆致から
もたらされたものであることは
明らかですので
悠揚迫らぬ前半部を楽しめれば
充実した読書体験を得られるでしょう。
ドライデンの扱う
ニュースのひとつは
孤児院が絡んでくるもので
ドライデンが関係者に
「すこし古めかしくないですか?
孤児院だなんて、
まるでディケンズの世界だ」(pp.180-181)
と話す場面も出てきます。
こういうふうに
物語の伝統を意識しているそぶり
そして
ディケンズを読んでいる
読者に向けて書いていることを
テキストに痕跡として残すあたりが
(そうやって読書人の自意識をくすぐるのは)
いかにも向こうの作家らしい。
また、一見すると地味で
堅実なプロットなのですが
解決近くのある状況において
「捜査のなかで、ドライデンは
目撃者、被害者、素人探偵、
そしておそらくは容疑者として、
中心的な役割を担うことになる」(p.396)
という述懐が出てきた時
ちょっとびっくり。
この箇所を読んで
セバスチアン・ジャプリゾ
『シンデレラの罠』(1962)の
有名な惹句を
連想するミステリ・ファンも
多いのではないでしょうか。
もしかしたらこの
ジャプリゾ的プロットを
意識していたのかも
とか思ったり。
だとしたらジム・ケリー
侮れませんな。
(ないかな? w)
前回、紹介済みの
ジェイン・ハーパー『渇きと偽り』は
旱魃のオーストラリアを舞台とする
灼熱の物語でした。
一方、今回の作品は
着氷性の暴風雨に見舞われる
イギリス東部の沼沢地帯を舞台とした
極寒の物語です。
続けて読んだのは
たまたまだったんですが
偶然とはいえ
あまりに対照的だったので
ちょっとウケてしまいました。
もっとも、殺人方法は
ウケるどころの騒ぎではなく
特に冒頭の
沼沢地帯での殺人が
身体の芯から冷え冷えとしてきて
身震いさせられますので。
寒いのが苦手な人は
心してお読みください。(^_^)