『アガサ・クリスティーの大英帝国』

(筑摩選書、2017.5.15)

 

副題「名作ミステリと「観光」の時代」

 

 

ミステリ関連の評論書が出ると

なるべく買うようにしているので

これもそうした流れで購入した1冊です。

 

ミステリ・プロパー以外によるミステリ論は

プロパーなマニアだと気づかないことを

いろいろと教えられて

勉強になることがあります。

 

その一方で

プロパーなマニアの間だと

常識になっていることがふまえられておらず

うんざりさせられるということも

往々にしてあったりします。

 

本書も、読み始めた当初

第一章に気になる記述があったため

その手のうんざり本かと思っていたら

読み進むにつれて

面白くなっていったのは

嬉しい誤算でした。

 

 

アガサ・クリスティーに

いわゆる観光ミステリが多いことは

『オリエント急行の殺人』(1934)や

『ナイルに死す』(1937)

『白昼の悪魔』(1941)といった

映画化された作品を通してみても

納得できるところでしょう。

 

本書は

そうした観光ものが

どういう時代背景、時代思潮の中から

生まれたのかということを

刊行された長編を時系列順に見ていって

紹介していく本

ということになりましょうか。

 

 

観光ものだけではなく

田園が舞台の作品も取り上げ

戦前から戦後へかけて

観光(国外)から田園(国内)へ

ポワロからマープルへ

という流れを見出しているのが

面白かったですね。

 

つまり、戦前は

ポワロが観光地で活躍する話が

多かったけれども

戦後になると

ポワロの登場は相対的に減っていき

代わりにマープルが田園や

観光地で活躍する話が

増えている、というわけです。

 

あくまでも相対的に、なのですが

いわれてみると

なるほどという感じでした。

 


シャーロック・ホームズの時代には

のどかで美しく見える田園の方が

はるかに恐ろしい犯罪を生み出している

という台詞が作中に出てきますけど

これは、ドイルの頃

田園(田舎)は都会より劣ったもの

という認識だったからで

クリスティーの頃になると

田園の方が理想的な場所として

価値を増していく

というふうにも書かれています。

 

もっとも

これはクリスティーの場合であって

田園を舞台にしたミステリが

すべてホームズの時代と

異なった認識で書かれているかどうか

マニア的読者としては

首をひねらずにはいられないところ

なんですけどね。

 

 

ところでちなみに

クリスティーは晩年

ミス・マープルが活躍する

三部作を構想していて

『カリブ海の秘密』(1964)

『復讐の女神』(1971)と書きつぎ

あと1作で完結するところで

死を迎えた

という通説があります。

 

『カリブ海の秘密』も

『復讐の女神』も

ジェースン・ラフィールという

金持ちの事業家が登場して

マープルに新しい生き方ないし

役割を与える存在となっていることで

2部作と目されていたわけです。

 

東秀紀は本書の後半で

この通説を取り上げ

実は『カリブ海の秘密』

『バートラム・ホテルにて』(1965)

『復讐の女神』で

三部作なのではないか

と述べており

これは、なるほど、という感じでした。

 

 

なお

『ABC殺人事件』(1936)を

観光ミステリに分類する理由が

よく分かりませんけど

「クリスティーとしては珍しく

社会性を帯びたミステリ」(p.107)

「クリスティーには珍しく

沈鬱なミステリ」(p.109)

という評価は

なるほどという感じ。

 

その伝で

といっていいのかどうか

分かりませんけど

『愛国殺人』(1940)もまた

社会性を帯びたミステリなのかも

というふうに

今回の本によって啓発されました。

 

『愛国殺人』は昔、読んで

面白いと思わなかっただけに

読み直してみたくなった次第です。

 

 

ちなみに東は

『ハロウィーン・パーティ』(1969)や

『復讐の女神』

『運命の裏木戸』(1973)など

晩年の作品を

あまり好んではないようです。

 

『復讐の女神』は

事件の起きるまでが遅く

テンポがのろいので

「クリスティー老いたり、と

言いたくなってくる」(p.242)

とまで書いてますが

そこがいいんじゃないの

と自分なんかは思うんですけどね。

 

それでも東による

『復讐の女神』をめぐる考察は

なかなか読みでがあったので

今回の本をおすすめするのに

否やはないのですけれど。

 

 

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