『アリスはどこへ行った?』
(2015/富永和子訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2016.4.25)

グレゴリー・マグワイアは
ブロードウェイ・ミュージカル
『ウィキッド』の原作者として
知られているようです。

『ウィキッド』は
『オズの魔法使い』の物語を
オズの国の魔女の視点から語り直した
ファンタジーだそうで
日本では
劇団四季の演目として
知られているようです。

そちらは
本はもちろん、劇の方も
ノーチェックでしたが
(原作本の翻訳は出ています)
今回はアリス・ネタということで
さっそく読んでみました。


オビの惹句から判断するに
実際に読む前は
アリスが不思議の国へ迷いこんだあとの
リアル・オックスフォードでの物語
かと思ってました。

何というか
現実のアリスの背景が
そのまま出てくるものとばかり
思っていたのですが
その予想は完全に外れました。


本書のアリスは
アリス・リデルではなく
アリス・クラウドといい
姉の名前はリディアといいます。

実際の長女はロリーナといい
アリスの下に
イーディスという妹もいましたが
この本のクラウド家は
リディアとアリスの2人のみです。


リディアは
川辺で本を読んでいるうちに
いつの間にかアリスがどこかへ
行ってしまったことに気づく。

そこへアリスの友人である
エイダ・ボイスが通りかかり
そのエイダも
ウサギに誘われて
不思議の国へ迷いこむ。

エイダの
不思議の国での冒険と、
エイダを探す女性家庭教師、
(ガヴァネスですね)
リディア、
クラウド家の客人である
チャールズ・ダーウィンの
付き人のアメリカ人、
彼が連れてきた黒人少年らの
現実世界での物語とが
交互に(カットバックで)
描かれていきます。

こう書くと
なんだか複雑そうですが
意外とサクサク読めて
楽しめました。


エイダの迷いこんだ不思議の国は
『不思議の国』と
『鏡の国』のキャラたちがいる世界で
原作でアリスが経験したような冒険を
エイダも経験するという展開。

現実世界のエイダは
佝僂病かなにかにかかっているらしく
姿勢矯正用のコルセットを
着用しているようでした。

ところが
不思議の国では
コルセットの束縛から逃れて
自由に動き回れるようになった
という設定になっています。


現実世界のクラウド家では
クラウド夫人が死んだばかりで
リディアが娘でも女主人でもない
中途半端な立ち位置にいる
という設定で
そういう立ち位置に置かれた
ヴィクトリア朝の女性の微妙なありようを
体現しているようなところもあります。

本書のガヴァネスの描写は
『『不思議の国のアリス』の家』に出てきた
ガヴァネスに比べると
ややカリカチュアされているようですが
ガヴァネスが
家族の一員でも使用人でもないという
微妙な立ち位置にあることを
知っていて読むと
なかなか興味深いですね。


ちなみに
本書ではクラウド家のガヴァネスは
出てきませんけど
現実のリデル家には
ミス・プリケットという
ガヴァネスがいました。

そして
キャロルことドジスンが
ミス・プリケットに想いを寄せている
という噂も
実際にあったようです。

『『不思議の国のアリス』の家』
上に書いたようなことをふまえて
書かれているわけですね。

先の記事を書いたあとに
そういう噂があったという
資料が目にとまりましたので
ちょっとここで補足しておきます。


さて、本書に登場する
アリスの友人エイダは
『不思議の国のアリス』において
アリスのモノローグ中に
名前が出てくるキャラクターです。

そこから物語を構想し
一巻の小説を仕上げる力量は
さすがというべきなのかどうなのか。

よくよく考えれば
『不思議の国のアリス』のヒロインは
リデル家のアリスを
モデルにしているけれど
リデル家のアリスとは
どこにも書いてないわけで
それを思えば
こういう話の作り方も
ありといえばありなわけです。

そこらへんの発想は
素直に脱帽すべきかしらん。


作品の背後に漂うのは
失われしヴィクトリア朝への
オマージュとでもいいましょうか。

本書の第1部の扉で
キャロルことドジスンが
リデル三姉妹に
『不思議の国』の母体となる話をした
川遊びの日について
オックスフォードのガイドブック(?)から
引用されています。

それによれば
キャロルの回想では
「きらめく陽射しに彩られた午後」
ということになっていますが
現実の気象記録では
「涼しく、雨模様」だったらしい。
(カッコ内の引用は第1部の扉から)

これは有名な話なのですが
本書の第1部の扉に引用した
作者の意図を考えてみるに
現実の天候と人々の印象のズレは
そのまま
現実のオックスフォードと
私たちがイメージするオックスフォード
失われしオックスフォードとのズレに
重ね合わさる
という感じでしょうか。

オックスフォードは
様々な物語を生んできましたが
そういう物語とは別の
光の当たらない
有名ではないオックスフォードにおける
知られていない
有名ではない物語を語る
というスタンスで
物語が紡がれていると
見てもいいでしょう。

オックスフォードという
並行世界を生む場所を舞台に
『アリス』の並行世界を描いて見せる
というモチーフで書かれたのが
本書なのではないか。

とりあえず
そういう風に考えられますが
そういう難しい話は抜きにしても
充分楽しめる物語でした。


訳註の類はいっさいありません。
分かる人に分かればいい
という本になっています。

訳註がなくとも楽しめますが
いろいろと知っていると
さらに楽しみが倍増する類の本
とでもいいましょうか。


だからたとえば
第30章で
ハリエット・ヴェインの名前を目にすると
ドロシー・L・セイヤーズのファン
ないしは
イギリス黄金時代の
本格ミステリ・ファンは
うふふな気分になったりできるわけです。

書いちゃったけど。(^^ゞ


ちなみに
第31章で
モック・タートル・スープ mock turtle soup を
「亀のスープもどき」と訳してあって
違和感がありましたけど
最近はそういう訳もあるみたいです。

この訳し方だと
スープじゃない感じがするのは
自分だけかしら。ぶつぶつ。


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