『『不思議の国のアリス』の家』
(2015/小林さゆり訳、柏書房、2015.10.10)

『不思議の国のアリス』に登場する
主人公のモデルとなった
現実の少女、アリス・リデルの
曾孫に当たる人のデビュー作です。


ルイス・キャロルこと
チャールズ・ラトウィッジ・ドッドスンと
アリスとの交流を中心に
『不思議の国のアリス』誕生までの経緯を
アリスの家庭教師の視点から描いた
フィクションです。

ここでいう家庭教師は
ガヴァネス governess という
ヴィクトリア朝時代に
上流家庭の子女を教えた女性のことで
未婚の中流女性が自立する手段のひとつでした。

ヴィクトリア朝のイギリス小説に
しばしば登場しますけど
ヘンリー・ジェイムズの
『ねじの回転』(1898)に登場する
例の幽霊を見た家庭教師といえば
「ああ、あれか」と
思い出す人もいるかもしれません。


いわれてみると
当時の習慣からすれば
リドル家にもガヴァネスは
当然いたわけです。

これまで
現実のアリスを登場させた
フィクションや映画で
ガヴァネスが描かれたことは
自分の知るかぎりではなく
この設定は盲点でした。


結婚願望が強く
性的な欲求不満を抱えたガヴァネス
というあたりは
いかにも当世風ですが
まったくあり得ない感じもしないので
上手い設定だと思いますね。

そういうガヴァネスの視点から
語られていくだけに
アリスの
男心を誘う小悪魔風な表情も
すくいとられていて
純真無垢な少女という
一般的なイメージと
ちょっとズレているのが
興味深かったです。


そのガヴァネスが
ドッドスンに愛されていると誤解して
その誤解を残酷な形で気づかされた時に
ある出来事が起きるわけですけど
それが小説のかなり後半なので
その出来事が起きるまでは
少々退屈だったのは否めません。

大学院時代、指導教授に
ミステリばかり読んでいると
普通の小説が読めなくなるぞ
というようなことを
言われたことがありますが
途中まで退屈だったのは
そこらへんに原因があるのかも。(^^ゞ


『不思議の国のアリス』誕生の経緯を描いた
ノンフィクション・ノヴェルだと思ったのも
良くなかったのかもしれません。

実際の経緯とは
時間の流れや出来事の順序が
異なっていますし
(7年間の交友を1年に凝縮したそうです)
なによりも
ここに登場するアリスが
10歳だというあたりからして
史実とはもちろん
キャロルの感覚ともズレているわけで。

ノンフィクション・ノヴェルではなく
中年男性と少女の交流を
ガヴァネスの視点から再構成した小説
あるいは
ガヴァネスを主人公とした小説
というふうに
最初から意識して読めば
また違う楽しみ方もできたでしょう。

「中年男性と少女」が
現実のドッドスンとアリスだけに
なかなか難しいんですけどね。


邦題も、オビの惹句も
ノンフィクション・ノヴェルである
という誤解を助長させる感じがして
ちょっといただけない。

原題は
The Looking Glass House ですから
「鏡の家」「姿見の家」
とでも訳してくれた方が
良かった気がします。

もっともそれだと
営業的に
よろしくないんでしょうけど。


先にも書いた通り
これが小説のデビュー作だそうですが
今回は題材勝ちといったところ。

アリス・リデルの曾孫
というだけで話題性が抜群なのに加え
アリスの孫にあたる実母が持っていた
未公開の資料なども使えたわけですから
小説家としての実力は
さておいても読む
という読者も多かったことでしょう。

こういう形でデビューしたら
第2作目がたいへんだろうなあと
他人事ながら心配になります。


冒頭、いきなり
リドル家のパーティに
ヴィクトリア女王が訪れますけど
現実のアリスの父親の日記も
資料として活用したようなので
これは実際の出来事を
ふまえたものなのでしょう。

今風にいえば
現実のアリスの家は
かなりセレブな印象を受けますね。

もちろん、そのパーティーには
ドッドスンも出席しているわけです。

「著者あとがき」によれば
アリスには
ヴィクトリア女王の
末息子とのロマンスもあったそうで
そうした事実を知ると
現実のアリスに対するイメージも
また変わってくる感じで。


なお、従来「ドジスン」と
表記されきたキャロルの本名は
「ドッドスン」が正確な読み方で
本訳書では
そちらが採用されています。

間違いではありませんので
ご注意くださいまし。


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