『学校の殺人』(旧カバー)
(1931/龍口直太郎訳、創元推理文庫、1960.1.29)

手許にあるのは
1973年8月10日発行の
第12版です。

創元推理文庫版の前付では
原著の刊行年が1932年になってますけど
アレン・J・ヒュービンの
犯罪文学書誌 Crime Fiction 第2版では
1931年となっていましたので
それに倣いました。

カバーの装幀は
このあと更に変わっていますが
東京創元社のHPで確認できます)
初刊年は訂正されているのかな?


ジェームズ・ヒルトンといえば
かつては
『失われた地平線』(1933)とか
『チップス先生さようなら』(1934)で
よく知られた
イギリスの小説家ですが
(両方とも映画になっています)
現在ではどうでしょう。

前者は数年前(2011年)に
河出文庫から新訳が出ましたし
後者は今年に入って
新潮文庫から新訳が出ましたから
今でもそこそこの知名度はあるのかしらん。


そのヒルトンが
作家として名を上げる前に
グレン・トレヴァーという別名で書いた
唯一の長編推理小説が
『学校の殺人』です。

子ども向けの訳も出ていて
確か昔それで読んだかと思うのですが
鮮明に記憶に残っているのは
まんがの絵(ラスト・カット)なのでした。

調べてみたら1974年に学研から
はっとりかずお、という人の描いた
『学校殺人事件』というのが出ています。

もしかしたらそれで読んでて
活字の本は読んでないかもしれません。

現物を当たれば
すぐ分かるのですが
あいにく持っておりませんで
これは今後の課題です。


上に書いたような事情で
犯人は知っていました。

ですから
犯人当ての興味抜きで読んだんですが
ある登場人物の、
要は犯人の、証言や振る舞いが
見え透いてて鼻についたので
前半はやや退屈でした。

ところが
第2の事件が起きて
刑事がロンドンに戻った後から
俄然おもしろくなりましたね。

読み終えてみると
しっかりと伏線が張られていたので
ちょっとびっくりしました。

あと
連続殺人をめぐる趣向が
あるアメリカの有名な現代作品
といっても1970年代の作品ですけど
それと同じアイデアだったので
たいそう驚かされました。


かつては『学校の殺人』といえば
ミステリの古典のひとつで
創元推理文庫の他に
ハヤカワ・ミステリでも訳されてましたし
上にも書きましたが
子ども向けの翻訳も
何種類か出ていました。

それが今では
版元の東京創元社でも品切れで
すっかり忘れ去られている
といったところです。

忘れ去られていい作品かどうか
ちょっと気になったというのが
病床の徒然に読んでみようと思った
理由のひとつです。

龍口(たつのくち)直太郎の訳は
さすがに古びていますが
それでも作品自体は読ませるので
これなんかも
新訳されてもいいのではないか
と思った次第です。


以下
ちょっとプロットに付いてふれますので
未読の方はご注意ください。
(犯人は明かしていません)

創元推理文庫の
フロント・ページに書かれた
内容紹介で引かれている
「類型を脱した第一級の名作」
というのは
シャーロキアンで
小説も書いている
ヴィンセント・スターレットの
言葉だということは
ハヤカワ・ミステリ版に付された
江戸川乱歩の解説で分かるのですが
(『海外探偵小説・作家と作品』に収録)
どこでそういったものか
ちょっと見当がつきません。

原書のカバーにでも
引かれていたんでしょうか。


ちなみに
東京創元社のHPに掲載されている
後の版の内容紹介には
ヴィンセント・スターレットと
書いてありますけど
手もとの版には
どこにも書いてなかったんです。

だから
ちょっとくどい書き方に
なっちゃいました。m(_ _)m


閑話休題。

スターレットのいう「類型」とは
どういうプロットを指すものか
見当がつきませんけど
本書は
いわゆるアマチュア探偵が
ヤードの刑事を向こうにまわして
真相をつきとめる
というタイプの
ミステリではありません。

それをふまえた上でいうと
単に、アマチュア探偵の失敗談
というだけでなく
アマチュアの探偵行為を利用して
犯人を罠に落とす
というのが
ちょっと
「類型を脱し」てるかもしれない。

ヒルトンが本書を著した1931年は
いわゆる探偵小説の黄金時代で
それはつまり
アマチュア探偵の全盛期
ということでもありましょう。

もちろん
刑事を主人公とした小説も
書かれていたはずですけどね。

そういう時代状況をふまえると
ヒルトンのやりたかったことが
何となく分かるような気もします。


作中の設定年代は
1928年になっています。

これは何か意味があるのか
分かりませんけど
事件関係者のひとりが
第1次世界大戦に参戦した影響で
シェル・ショックにかかっている
という設定には
ちょっと興味が引かれました。

単にかかっているというだけでなく
そういう設定の人物が
「なにしろ、三年も、
 法と正義の名において
 無益な殺生が行なわれるのを
 目のあたりに見てきた者には、
 だれかが故意に人のひとりやふたり、
 殺そうとしたところで、
 世間なみに憤慨する気持ちなんか
 起きなくなるもんだよ」(p.69)
と主人公に言う場面があり
やはりシェル・ショックにかかりながら
素人探偵業に精を出す、
ドロシー・L・セイヤーズが創造した
名探偵ピーター・ウィムジイ卿を連想して
ちょっと面白く思った次第です。


以下は備忘のためのメモですが
226ページに出てくる
「ひとのためにわが身を捨てる」
シドニー・カートンというのは
チャールズ・ディケンズの
『二都物語』(1859)に出てくる
弁護士のようですね。

222ページにある
「例のトムソン・バイウォーター家の事件」
というのは
1922年に起きた
28歳の人妻エディス・トムソン
(トンプソンとする資料もあり)の夫を
8歳年下の若い愛人
フレデリック・バイウォーターズが
殺害した事件のようです。

エディスが
バイウォーターズに送った
恋文が根拠となって
カップルによる謀殺と見なされ
両名とも死刑となりました。

原文はたぶん
Thompson - Bywaters case で
「家」と付けるのは
龍口先生、ちょっと勇み足でした。


ちょっと検索してみたところ
トムソン・バイウォーターズ事件については
Filson Young 編の公判記録が
戦前、司法省調査課によって
翻訳されていたようです。

これにはびっくりでした。

事件の簡単な経緯は
J・H・H・ゴーテ&ロビン・オーデルの
『殺人紳士録』

『殺人紳士録』
(1979/河合修治訳、
 河合総合研究所・発行、彌生書房・発売
 1986.6.30)

でも
知ることができますので
(エディスの写真も載ってます)
興味がおありの方はどうぞ。

この本、
アメリカ探偵作家クラブ賞受賞作なので
古本で見つけた時
買っておいたのですが
残念ながら完全訳ではありません。

どこかから完訳が出ないものか知らん。


シドニー・カートンも
トムソン・バイウォーター事件も
『学校の殺人』が発表された同時代の
イギリス人の読者が読めば
すぐ分かるんでしょうけど
現代の日本人としては
ちょっと註が欲しいところでした。


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