『翼のはえた指』(Uブックス版)
(白水社 U ブックス、2008.2.5)

親本は1999年に
同じ白水社から刊行されました。

「評伝安川加壽子」という
副題からも分かる通り
青柳いづみこの
ピアノの先生である
安川加壽子(かずこ)の伝記です。

で、これがすこぶる面白かった。


シカゴ大学を卒業し
外務省の嘱託として
パリの国際連盟日本支部に勤務する父親と
オベリン大学を卒業した
母親との間に生まれ
1歳の時、パリに渡り
ピアノを学んだ後
第2次世界大戦勃発のため
日本に帰国し
1940年に19歳で
デビュー・コンサートを開く
という安川加壽子の軌跡は
月並な言い方になりますが
まるで小説を読んでいるような面白さでした。

戦後の
演奏活動と
家事や育児を両立させる
生きっぷりは
NHKの朝ドラにでも
なりそうな感じだし。

そして本書の場合
物語的な面白さにとどまらず
フランスのピアニズムを
日本に根づかせようとする行動を通して
またその演奏の特徴を語ることを通して
日本のピアノ学習の問題点を
あぶり出していく
青柳の書きっぷりが
いっそう興趣を高めてくれました。


自分の場合
最も関心があるのは小説や
文学研究なので
自分の興味関心の分野と
思わぬリンクを示す箇所が
特に印象に残りました。

演奏思想について書いてある箇所でも
自分の関心に引き付けて
納得したりしてしまうのですね。


たとえば
フランスものが得意なのに
なぜバッハやベートーヴェンも弾くのか
という質問に対する返答を取り上げて
安川加壽子の
「歴史主義的な考え方」について
紹介している箇所。

「一つの音楽をよく理解するためには
 その音楽一つだけ、一人の作曲家だけ
 研究しているわけには行きません。
 音楽は、いわば一つの流れであって、
 バッハから始まって、だんだん大きく、
 鎖の一つずつの目みたいに繋がって
 網のようにいるんですから、
 (略)
 一人の作曲家がもっと分かるように、
 外の作曲家も
 勉強しなくてはならないと思います」(p.139)

この箇所に続けて青柳は
日本では「現在でも最も欠けている」
考え方のひとつと書いています。

この箇所は
好きな作家を読んでいるだけじゃ
その作家やジャンルを
十全に理解することはできない
というふうに読めそうだし。


あるいはまた
「楽譜を読むといっても、
 ただ単純に
 おたまじゃくしを音に
 移しかえることではない。
 作品の文化的背景から
 作曲家の音楽思想まで、
 演奏家の内面に照応したものを
 楽器に託すまで、
 気の遠くなるような
 推敲と反芻の作業が行なわれる。
 それでいて、実際に出てきたものは、
 感興のおもむくまま、
 ほとんど即興的に生み出された
 かのような印象を
 与えなければならない」(p.153)
という箇所。

これを読むと
特に最後の5行などを読むと
ミステリの小説作法に
そのまま当てはまるんじゃないか
とか思ったり。

上の引用のすぐ後で
「思索のよろこびが
 同時に
 感覚のよろこびでもあるような演奏は、
 そうざらにあるものではない」(p.153)
と青柳は書いていますけど
そういう創作もまた
そうざらにあるものではない
とか、いってみたくなったりします。


本書を読み終えると
安川加壽子の演奏を聴いてみたくなりますが
安川が得意だったといわれる
ドビュッシーなどは
たぶん聴いたとしても
ピンと来ないだろうなと思います。

バロック音楽に
耳が慣れちゃったからだと
思ってますが
残念でなりません。


ちなみに
安川加壽子の旦那さんが
有島武郎研究で知られる
近代文学研究者の
安川定男だと知って
びっくりでした。

近代文学を専攻して
大学院まで行ってるくせに
知らなかったとは
ちょっと情けない気もしますが
仮に学生時代に教えられても
「ふーん」で
終わってたでしょうけど。

まあ、そういうもんです。(´・ω・`)


ペタしてね