『市川崑と『犬神家の一族』』
(新潮新書、2015.11.20)

去年の本ですが
先月末に読み終りました。(^^ゞ

面白かったです。


角川映画第一弾の
『犬神家の一族』は
ちょうど自分が
横溝正史にハマり出した頃に
製作されたもので
石坂浩二演じる金田一耕助は
原作通りだと喜んでいたものでした。

とはいえ、その他の
横溝映画を観ていたわけでもなく
原作付きの映画は
原作通りにやるべきだという
根拠のない考えを
持っていたに過ぎません。

本書では
その『犬神家の一族』が
市川崑の作品系譜の中で
どう位置づけられるかが
述べられています。

なるほど
あのシーンやあのカットには
そういう意味がありましたかと
目からウロコが落ちる指摘がいっぱいで
勉強になりましたし
面白かったです。


映画ファンには常識なのかもしれませんが
市川映画で脚本を担当している
和田夏十(わだ・なっと)が
監督の夫人だというのも
この本で初めて知りまして
夫人の協力を得られなくなってから
映画の質が落ちていったというのは
いろいろ考えさせられました。

あと、市川崑が
アニメーター出身だというのも
自分はまったく知らず
そのことを踏まえて
市川映画の文法を解説していくのも
なるほど、という感じで。


市川崑が撮った記録映画
『東京オリンピック』についての解説も
いろいろと考えさせられました。

今風にいえば
こういう映画をなぜ撮るかという
周囲の思惑、空気を忖度せず
自分の映画を撮ったがために
バッシングを受けた
というところでしょうか。

バッシングの先陣を切ったのが
試写を観たオリンピック担当大臣だった
ということや
文部大臣が
記録映画らしい再編集バージョンを検討した
ということなど
今に通じる問題を
有しているようにも思いました。

また、作家の山口瞳が
「大衆をバカにするな」というタイトルで
映画を批判する内容のエッセイを書いた
というのを知って
ちょっと悲しい気持ちになりましたね。

「大衆」を背景として
大衆を代弁するかのような物いいは
あまり好きにはなれないので。


まあ、それはそれとして
映画『犬神家の一族』論を読んでて
意外に思ったのは
石坂浩二が演じる金田一耕助は
原作の金田一耕助と
キャラが違うという指摘でした。

「原作の金田一は
どこまでも自信家なんです。
映画の飄々としたキャラクターと
まるで違う。
よく石坂浩二の金田一耕助は、
『原作のイメージに忠実だ』と
言われがちですけれども、
それは外見だけなんです。
キャラクターはかなり違うのです」(p.124)

原作からの引用があって
金田一は自信家だと指摘され
「ええ、そうかなあ」と
感じたのですが
なるほど映画に影響されて
金田一のイメージが
固定化されていたかもしれない
とは思います。

映画を観た後は
原作を読んでも
自分の中で
イメージが自動的に
修正されるでしょうから
納得がいく、いかないは別として
こういう指摘はありがたいと
思った次第です。


そしてここで指摘されている
金田一耕助を通して作られた
名探偵キャラクターのありようは
その後のミステリ小説や評論に
かなり影響を与えているのではないか
とも思った次第です。

栗本薫の創造した名探偵
伊集院大介は
さだまさし(当時の)をモデルにしたと
聞いたことがありますが
これなんかも市川映画の流れに
棹さしていたのかもしれません。


自分は
さほどの映画ファンとは
いえないので
市川崑の映画も
まあ、金田一ものしか観てないのですが
他の作品も観たくなってきました。


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