
(スイッチ・パブリッシング、2015.9.17)
実際の発売日は奥付より早く
先週の10日(木)で
ちょうど答案を届けに行く用事があり
届けたその足で書店に寄って
購入しました。
内田樹の『困難な成熟』読了後
手にとってみたら
こちらもさくさく読めました。
といっても実は自分は
村上春樹の小説の
良い読者ではありません。
『風の歌を聴け』が出た当時は大学生で
高校時代の同級生に勧められて読みました。
そのあと『羊をめぐる冒険』を
ミステリ・ファンの知人が勧めていたので読み
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を
大学院のゼミでテキストになったので読んだ
という程度で
最初の全集である
『村上春樹全作品 1979~1989』も
買いましたが
いまだに積ん読状態だったりします。
大学院では
村上春樹を研究テーマとしている
先輩や後輩がいましたし
『ノルウェイの森』のように
ベストセラーになった本は
あまり手が伸びないというタチなもので
結局『ハードボイルド・ワンダーランド』以降は
まったく読んでいないのでした。
良い読者ではない所以です。
ただ内田樹が村上春樹を評価していて
村上春樹論を一冊出しているので
(『村上春樹に御用心』。
増補版の方は持ってません)
そしてそれが興味深かったので
それでもやっぱり
(初版にこだわってしまう悪い癖もあって)
小説には手が伸びないのですが
初の「自伝的エッセイ」ということでもあり
手にとってみた次第です。
今、村上春樹が考えていることというのを
ちょっと知りたいということもありまして。
小説家になると思った際の
エピファニー体験なんかが書いてある第二回は
(本書では全て「章」ではなく「回」です)
まるで小説を読んでいるようでしたが
自分の身体感覚を大事にするところとか
外界から自分に届くメッセージに耳をすますとか
内田が『困難な成熟』で書いていたことと
シンクロするような要素もあったりして
同時代の優れた知性のありように
改めて感じ入った次第です。
それにしても
奥さんは小説を書き出した旦那さんのことを
どう思っていたのかしら。
なまじ小説のように書かれているだけに
(そう感じるのは自分だけかも知れませんが)
そこらへんのことを知りたいとか
思ったりしました。
もっとも
そういうことを書かないのは
村上春樹らしいのかもしれない
と、良い読者でもないくせに
感じたりもするのですが。
「学校について」と題された第八回では
功利性重視の教育システムが
結果として福島の事故を招いたと
珍しくストレートに、
いや、良い読者ではないので
珍しいかどうかは判りませんが
第七回までの記述から判断すると
「珍しく」としかいいようがないくらい
ストレートな物言いがされているのが
興味深かったです。
今、村上春樹が考えていることというのを
ちょっと知りたいという望みは
この章を読んで
ちょっと満たされたことでした。
「まあ、僕が考えて、
それでどうなるというものでも
ないのでしょうが」(p.213)という
この章の最後の一文は
村上春樹の良い読者ではない自分ですが
ああ、村上春樹らしいなあと
感じさせられました。
あと、
第四回「オリジナリティーについて」で
引用されている
ポーランドの詩人
ズビグニェフ・ヘルベルトの
「源泉にたどり着くには
流れに逆らって泳がなければならない。
流れに乗って下っていくのは
ゴミだけだ」(p.95)
という言葉は、かなり辛辣ですけど
辛辣なだけに(辛辣だからこそ)
大ウケしました。
「源泉」というのはもちろん
オリジナリティーの比喩でしょう。
それにしても
デビュー当時から
好意的でない書評が多かった
と書いてあるのですが
上にも書いた通り
大学院では否定的な評価を
聞いたことがなかったので
そのくだりはちょっと意外でした。
批判的だった高名な文芸批評家って
誰かなあと考えてみるのも
なかなか楽しいかもしれません。
(ちょっとイヤらしい楽しみですけどね)
