
(夜間飛行、2015.9.11)
本の刊行日になったとき
新宿まで出て行って買おうかどうか
迷っていたんですが
近所の書店を覗いたらあったので
即購入。
例によってサクサクと読み進み
本日読み終りました。
発行者からの
人生相談的な質問に回答するという
メールマガジン上での連載を
まとめた本です。
・「責任」をとるということはどういうことか
・フェアネス(公平・公正)とは何か
・人間にとって「働く」とはどういうことか
・執着と矜持を分かつものは何か
・人生は「運」と「努力」の何れによって決まるのか
・「お金」とはいったい何か
・どういう人が「大人」になるのか
・最近の人はなぜすぐバレる嘘をつくのか
・人にものを教える教育者がふまえるべきことは何か
・「偉い人」と思えなくなった上司とどう付きあうか
・親は子どもとどう接していけばいいか
・真に「国を愛する」愛国者とはどういうあり方か
・意見や見解の異なる相手とはどう対応すべきか
ひとつの質問の答から
それを踏まえて
さらに質問が繰り出される場合がありますので
上に記したものが全てではありませんが
だいたい上記したようなことへの回答が
収録されています。
これは内容の本筋からは
ズレた感想かもしれませんが
「死について考える」という章で
エドガー・アラン・ポオの
「ヴァルドマアル氏の病症の真相」を
例に引いている箇所が
ちょっと目を惹きました。
内田樹の本では
自説を相手に理解してもらうため
具体例をあげることが多いのですが
ミステリと呼ばれる
ジャンル小説に言及することが
時々あります。
ジョン・ル・カレとか
シャーロック・ホームズとかね。
そのときの作品の読みが
なかなか示唆的なのでした。
今回の本の場合だと
ポオは
「死ぬ体験を
死ぬ側から記述することの
可能性について」
興味があったんじゃないか
と書いてあって
ふむふむとか思ったり。
ところで
同じ「死について考える」という章で
自分が感じていること、
考えていることを発表するときには、
できるだけ
「自分が死んだら、これと同じことを
感じたり考えたりする人が
いなくなる」ことだけを
選択的に語るほうが
いいと思います。(p.284)
と書き出している節と
その次の節の内容は
こうしてブログを書いている当方の
背筋を伸ばさせるような内容でした。
自分の書くものアップするものが
「自分以外の人でも言いそうなこと」
になってないか
「生きている間に口にする甲斐のある言葉」
になっているか。
考えだすと忸怩たる想いに
駆られてきます。
ちなみに、同じような内容は
最終章「今、日本人が読むべき本七選」の
まえがき部分にも書かれています。
そこでは本について語る際
「ここで私が
この作品について、今ここで、
ある程度きちんとしたことを
述べておかないと、
その仕事をほかの誰も
私に代わって
してくれないかもしれない……」(p.395)
という「負託感」、
「私が語らずに誰が語るのか」という思いが
その本について語らせる力である
というようなことが書かれていて
これも、なるほど! と
膝を打つ感じでした。
皮肉屋の方からは
そう思っているのは自分だけ
と言われそうですが
上記してきた考え方のポイントは
続けていわれている
「自分の言葉を誰かが届かせようとする人は
あたう限り丁寧に語る。
情理を尽くして語る」(p.397)
というところにあるかと思います。
(ちなみに上の引用文
「誰かが」ではなく「誰かに」の
誤植ではないかと思いますが
ここでは原文通りに引いておきます)
それがものを伝えるということのポイントで
「負託感」を意識しなければ
何も伝わらない。
それを意識しないと
全能感に支えられた発言しか生まず
対立しか生み出されない。
そういうことではないでしょうか。
肝に銘じたいと思ったことでした。
だったら
こうやってブログを
毎日書き続けることから改めないと
いけないのかもしれませんけどね。
