
(ヤマハミュージックメディア、2015.8.20)
今回、帰省の旅のお伴に
携えていった内の1冊です。
北陸新幹線が開通して
金沢まで片道3時間程度になったので
分厚い本を持ってっても
車内で読み切れないかなあ
と思っての選択でした。
内容は
創作系の通信教育スクール
講談社フェーマススクールの会員誌
『フェーマス』という雑誌に
連載したものと
『月刊かまくら春秋』という
タウン誌に寄稿したエッセイを合わせて
1冊にまとめたものです。
タウン誌のエッセイは
子どものころから夜型人間である
自分のことを書いたものですが
『フェーマス』に連載した文章は
ファンタジー小説や童話などを
紹介しています。
たとえば、メーテルリンクの
「青い鳥」を取り上げた章では
こんなことが書かれていました。
「誰もが知っているけれど知らないもの、
見ているのに見ることができないもの、
そういう言葉にならないものを表現するために
幻想文学があるのです」(p.22)
また、アンデルセンの
「人魚姫」を取り上げた章では
以下のように書いています。
「確かにこれはひどい話です。
でも、人生の中で
理不尽な不幸を押しつけられた時、
相手を責める怒りや悲しみの心に
ずっと支配され続けるとしたら、
その小さく縮こまった心が傷つけるのは、
他者ではなく自分自身でしょう。
どんなに理不尽でも、
押しつけられた不幸から抜け出して
幸福になるためには、
自分の縮こまった心を
自分自身で大きく広げていくしか
ないのです」(pp.30-31)
そして、エンデの
『モモ』を取り上げた章では
「生きるということは、
すなわち『今』を生きるということ。
だから『今』を節約して
『いつか』に備えようとしたら、
その人はもう生きていないことに
なってしまうのです」(p.39)
と書いたあとで
「一日一冊以上本を読もう」と決めた人は
「たぶん『本を読んでいる』のではなく
『効率を上げている』のです」
いう例が出ています。
本を読むことが
半ば仕事と化している身にとっては
少々耳が痛い。(^^ゞ
ちなみに
『モモ』を紹介した章で
いちばん驚いたのは
谷山浩子が39歳で結婚して
「自分の時間を他の人のために使うのは
幸せなことだと、遅まきながら発見した」
と書いているところでした。
オールナイトニッポンの
パーソナリティーをやっていた頃
ラジオを聴いていた人間としては
ただただ、びっくり……。
まあ、それはともかく。
『ピーター・パン』を取り上げた章では
「乱暴にまとめてしまえば、
人が生きるのは幸福になるため、
つまり
『いつまでも遊んでいる』ためだと
思います。
それがなくても生物として
生存することはできるけれど、
人としては死んでしまう。
それが『遊び』です」(p.164)
と書いたあとで
家計をやりくりするお母さんが
2、3円安いというだけで
電車賃を使ってまで買いにいくことを
一例としてあげています。
計算ができないのではなく
「それがわくわくすることだから」
そうしてしまうのだ
そういうことが「遊び」なのだ
と書いてあるのには
敬服しました。
そしてファンタジーは
(つまりこの本で取り上げたような本は)
「遊ぶための心の領域を
大きく広げてくれるもの」
なのです、もちろん。
その他
『いろおんぷばいえる』のように
ちょっと覗いてみたいと思わせる本
(というか練習帳)を
取り上げたりしてますけど
基本的に
谷山浩子という人の感性を
作り上げてきた本を紹介した章や
今現在の谷山浩子の感性が
垣間見えることを書いてある章が
読んでいて興味深かったし
感銘を受けました。
いわゆる「児童書ガイド」
「ファンタジー小説ガイド」では
ありません。
でも、だからこそ
読みごたえがあるのです。
