『横溝正史の世界』
(徳間書店、1976.3.10)

この本自体は
出たとき新刊で買いました。

1976(昭和51)年3月刊だから
13歳、中学1年生の時ですね。

もっとも
出てすぐに買ったのでなければ
14歳になったあと、
中学2年生の時という可能性も
ありますけれど。

むしろその可能性の方が高いかも。


確かオビが付いてたと思いますけど
当時の自分は、はがして
ノートに貼り付けちゃったりしてました。

それで、ちゃんと保存していると
愚かにも思い込んでいたわけです。(´_`。)


角川映画『犬神家の一族』の公開が
1976年の10月ですから
この本が出た当時は
まだ一般的な横溝ブームに
なったかならないかの頃ですね。

自分はすでに
横溝ミステリを読んでいましたけど
だからといって
こういう本まで買うのは
ちょっとマセているわけで
おそらく
ミステリ評論集なんかを
訳も分からず買っていた流れで
買ったのだと思います。


横溝は、これより前に
『探偵小説五十年』(1972)や
『探偵小説昔話』(1975)という
2冊のエッセイ集をまとめています。

『横溝正史の世界』は
前に出た本に入っていない、
または、前に出た本以降に
書かれたエッセイと
座談会がメインで
それに加え
昭和22年(1947年)度の日記と
小説が三本再録されています。

横溝の作風は
初期のモダニズム時代
中期の怪奇幻想時代
戦後期の本格ミステリ時代
というふうに分けられますが
その各時期から一編ずつ
採っているわけです。

でも、再録された作品はすべて
角川文庫で読めたので
あまりありがたみは
感じなかった記憶があります。

座談会にしても
野球の話(佐野洋・有馬頼義)とか
音楽の話(大橋国一・横溝亮一)なんかは
当時は面白いとは思えず
日記や自伝的エッセイの類いは
文学研究者ならともかく
単なる田舎の
探偵小説ファンの中学生には
まったく興味が持てない。

ふつうは中味を確認して
つまらなさそうと思ったら
買わないものですが
いつか役に立つかもとか思って
不見転で買う癖は
もうこの時期からあったようです(苦笑)


というわけで
買ったはいいんですが
パラパラと見て
つまんねぇと思って
うっちゃっといた本ですね。

当時の自分にとっては
典型的な「猫に小判」本
だったわけです。( ̄ー ̄)


このあいだ思い立って
ぱらぱらと見ていたら
大西赤人との対談
「探偵小説の阿修羅として」の中の
戦時中の話の部分が
今読むとあまりにもアクチュアルで
びっくりしてしまいました。

太平洋戦争中は
探偵小説が書けない時代だった
というのは
日本の探偵小説史をかじった人には
常識といえることですが
大西赤人が
書きにくくなるような感じはいつ頃からか
と聞くと
横溝はこんなふうに答えてます。

横溝 わたし、上諏訪から療養生活を引き上げて、東京
へ帰ったのが昭和十四年の暮れ。そしたら、ある有名な
雑誌社の記者君が、個条書きを持ってきたの。三個条く
らいあるんだ。それがみんな、親に孝に、君に忠にとい
うような教育勅語みたいな条件が並んでいるんだ。
大西 それに基づいて、作品を書いてくれというわけで
すか。

「ある有名な雑誌社」というのが
どこなのかは知りませんが
これなんかは雑誌社側が自粛して
体制にすり寄っている典型ですね。

そしてそれが
いまだに、というか
今もまた見受けられるような気がして
愕然としてしまいます。

また、次のようなやりとりもあります。

大西 戦争が始まったときに、書けなくなるという以外
の感じとしては、どんなものがあったんですか。(略)
横溝 それは、一種のあきらめでしょうね、兵隊にとら
れても仕方ない、という。しかし、もう、表では笑って
も、みんな、心では泣いていたでしょうね。その感じは、
いやですね。
大西 最初は、日本はどうなると思いましたか。
横溝 それはもう、負けるに決まっていると思いました
ねえ。(略)
大西 やっぱり、戦争が始まった当時でも、ある程度物
事を考えられる人は、みんなそういうふうに思ってたわ
けでしょうね。
横溝 それは、あの戦争は、突然始まったわけじゃない
でしょう。言論統制だとか、衣料統制とか、統制がだん
だんきびしくなってくるんだからね。覚悟はできている
というようなものの、太平洋戦争が始まるとは思わなか
ったな。あれ、軍部の一種のエゴだと思うんですね。途
中で手を引いちゃったら、軍部なにしてんだって、チャ
チャメチャにやられるでしょう。どうせおれたちがダメ
になるのなら、日本国民全体をダメにしよう——そうい
うふうに、ぼくはヒガミにとったね。ぼくは、ヒガミが
強いのかしらんけど。

「どうせおれたちがダメになるのなら、
 日本国民全体をダメにしよう」
と考えていたんじゃないかという
「ヒガミ」という名の推理は
内田樹なんかの
現代社会に対する分析を
連想させるものがあって
感銘を受けました。


横溝はエッセイでは
何度か戦時下のことについて
書いていますけど
こういうふうに語るのは
珍しいのではないかと思います。

70年代前半の田舎の中学生には
ピンとこない話だったろうなあ
とは思うものの
まさか、この年齢になって
この本のこういう個所に
アクチュアルな感銘を受けるとは
思いもよりませんでした。

こういうことがあるから
本というのは
買っておくべきなのかなあ
と思ったり。


ちょっと長くなったので
ここで切りますが
この本の話、もう少し続けます。

To be continued.


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