
(黒沼健訳、新潮文庫、1959年7月30日発行)
手許にあるのは
1960(昭和35)年6月30日発行の
第2刷です。
パラフィンは自分で付けたものかなあ。
本書は最初
『聖者対警視庁』というタイトルで
日本出版協同から
異色探偵小説選集の一冊として
1953(昭和28)年に刊行されました。
その中身はそのままに
タイトルだけを改題して文庫化したのが
『奇跡のお茶事件』です。
日本出版協同版は
あいにく持っていないのですが
様々な書誌情報を参照すると
そういうことのようです。
本書には「奇跡のお茶事件」と
「ホグズボサム事件」の二編が
収められています。
このうち
表題作「奇跡のお茶事件」は
最初、雑誌『新青年』の
1939(昭和14)年8月増刊号に
「聖者対警視庁」という邦題で
掲載されました。
その時は抄訳で
戦後になって完訳して
日本出版協同の選集に収めた
と、文庫版の訳者あとがきである
「レスリー・チャータリス展望」に
書いてあります。
この記述を頼りに
さっそく近所の大学図書館に行って
『新青年』の復刻版で確認しましたら
確かに載っていて
「聖者」には「セント」
「警視庁」には
「スコットランドヤード」と
ルビが振ってありました。

チャータリスには
1932年にイギリスで初版が出た
The Holy Terror が
アメリカで出版された際に改題されて
The Saint vs. Scotland Yard となった
中編集があります。
資料によっては
そのアメリカ版のタイトルに拠って
それが『新青年』に翻訳されたもの
としている場合もありますので
ご注意ください。
黒沼健は文庫版のあとがきで
チャータリスは一九三三年に同名の長篇
The Saint vs. Scotland Yard を書いており、
今後これが訳されるような場合には
混同の惧[おそ]れがあるから、
今回新潮社から刊行されるのを機会に
「奇跡のお茶事件」と改めることにした。(p.245)
と書いてますので
これを読んでいれば
間違えようはないのですが。
で、「奇跡のお茶事件」ですが
読んでみたところ
内容的にはあんまり
「対警視庁」という感じは
しませんでした。
度重なる心痛で
胃腸の不調に悩まされていた
ヤードのティール警部は
帰り道、薬局に寄って
ラジオで放送されて噂になっていた
「奇跡のお茶」を買って帰るのですが
そのあと、何者かに頭を殴られて
昏倒してしまう。
そこへ通りかかったのがセイントで
襲撃犯は逃したものの
ティールを介抱して
自宅まで送り届ける。
そのティールが忘れていった
奇跡のお茶の包みを開けると
なんと千五百ポンド相当の新札が出てくる。
ティールが何者かから
賄賂を受けとったとも考えられず
好奇心を催したセイントは
謎を探りにかかる
というお話です。
警視庁と戦うというより
奇跡のお茶という商品に関わる
秘密組織と戦う
というお話なわけで
最終的にはティールに
手柄を立てさせるのですから
「対警視庁」という旧邦題は
内容にそぐわない感じがします。
「奇跡のお茶事件」は最初
The T. N. Tea-Party というタイトルで
雑誌 The Thrilling Library の
1938年1月29日号に掲載されたあと
The Miracle Tea Party と改題されて
中編集 Follow the Saint(1939)に
収められました。
作品が発表された時代状況を
よく反映しているとも思える内容で
だからこれが訳されたのかなあとも思ったり。
先ごろまとめられた
マージェリー・アリンガムの
『キャンピオン氏の事件簿I』(創元推理文庫)にも
似たような趣向の話がありましたし
同時代の日本にも
似たような趣向の作品があります。
日本の小説だと
時代の潮流に棹さしたとか言われ
ミステリとしては軽視されることが
多いのですけど
いずこも同じということですね。
なお、以前紹介したときに説明した
棒人間の図が
「奇跡のお茶事件」に
掲げられていましたので
以下にその画像をアップしておきましょう。

以上、長くなりましたので
同時収録の「ホグズボサム事件」については
また改めて。

●補足(約10分後の)
「奇跡のお茶事件」の
扉裏にある登場人物表では
作品の最後まで伏せられている
ある登場人物の正体が明かされています。
これはちょっと配慮がなさ過ぎ。
古本ですけど
これから手に入れて読もうと思った方は
ご注意あれ。