盛光社のジュニア・ミステリ・ブックス
ないし
盛光社鶴書房あるいは鶴書房の
ミステリ・ベストセラーズの第10巻
『物体Xの恐怖』(1965)に
併録されているのが
ゴードン・ディクソンの
「防衛司令官」であることは
先にも書いた通りです。
これの原作を突き止めるのは
難儀するだろうと思っていたのですが
勢いというものはあるもので
割と簡単に判明しました。
以下、そのレポートです。
ゴードン・ディクソンは
ゴードン・R・ディクスンというのが
大人向けの翻訳での通り名です。
これが分かると
例によって
大人向きの翻訳をリライトしたもの
という読み筋によって
翻訳を探してみると
1965年までの時点で
『S-Fマガジン』に
3編載っているだけでした。
幸い、『物体Xの恐怖』は
国会図書館の蔵書がデジタル化されており
その章題を自宅で確認できます。
そこで確認してみた章題は以下の通り。
・宇宙船マリアナ号
・K4宇宙砲ドーム
・ティカの絶望
・うらぎられた人びと
・森の殺し屋
・地上戦闘
・大好きなあなた!
ここまで分かった時点で
ピンと来る人もいるでしょうけど
自分はSF者ではないので
すぐには分からない。
調べものがあって
神奈川近代文学館に寄ったついでに
『S-Fマガジン』の該当号をあたってみて
ようやく判明した次第です。
原作は『S-Fマガジン』の
1962年12月号(3巻13号)に載った
「焦土に立つ」The Invaders(1952)でした。

訳者は坂田治となってますが
翻訳作品集成 ameqlist のディクスンの項目や
Wikipedia の矢野徹の項目によれば
これは矢野徹の別名義のようです。
つまり『物体Xの恐怖』は
矢野徹自身が訳したものを
自らリライトした作品集
ということになります。
以下、内容にふれます。
ミステリ的なトリックや
犯人当てを売りにした作品ではないですし
初読の驚きが失われないように
注意はしているつもりです。
その点をご理解の上で
お読みいただければと思います。
「焦土に立つ」は
異星人が狙う地球人植民惑星のひとつに
防衛司令官のヘクターが派遣され
撃退する顛末を描いた物語です。
今回の任務には
政府委員会の委員長を務める
女性惑星議員のティカが
お目付役のように同行しています。
政府委員会は
植民惑星住民に
絶大な権力を振るうことを許す
防衛司令官制度に反対しているという設定。
でも、植民惑星には
訓練を積んだ指揮者がおらず
防衛司令官は(それが悪なら)
いわば必要悪であり
遠く離れた地球で
理想論を語っている政府委員には
それが分かってないというのが
現場の人間の考えでした。
手許にある『耳をすます家』の
巻末に載っている各巻内容紹介のコピーに
「民主主義の悪しき原則に挑戦する防衛司令官」
と書かれているのは
こういう背景を踏まえてのもの
と考えていいでしょう。
植民惑星ラミアに降り立ったヘクターは
すぐさま戒厳令を敷き
市街戦を行なうつもりじゃないでしょうね
と問う知事に対して「たぶん」と答える。
ヘクターは
〈叢林に住む人【ブッシュ・ランナー】〉
と呼ばれる猟師集団の代表である
J・Jと協力しあって
自らも地上戦に参加し
最終的に異星人を撃退するのですが
自らも大怪我を負う。
こうした防衛司令官のやり口に
最初の内は反発していたティカですが
植民惑星の現実や
実践の有様を見て
最終的には自らの空理空論ぶりを
自覚させられることになる。
最後の方で
ある登場人物がティカに
次のように話しかけます。
「ぼくはあなたのことを
司令官やJ・Jから聞きました。
だから、ぼくのおばあさんが
話してくれたことを
言っておきたいんです。
女のひとが感情よりも、
考えで動こうとするときは、
いつもまちがうそうです。
それが、あなたが失敗した理由です。
これから、考えることは司令官にやらせて、
あなたは感情のほうを受け持つんです」
(『S-Fマガジン』1962.12、p.185)
コピーをとってきたのを読んでいて
上記の個所まできたときは
あまりのマッチョな考え方に
びっくりしてしまいました。
これは、今では受け入れられないだろうな
と思った次第です。
それはともかく
こういう話がなんで
ミステリを謳ったシリーズに
収められたのか。
『物体Xの恐怖』なら分かるんです。
南極基地というクローズド・サークルで
人間に擬態することのできる異生物が徘徊し
誰が異生物の擬態か分からない
というサスペンスものですし
どうすれば擬態であると
見破ることができるのか
どうすれば異生物を倒せるのか
という問題がテーマになりますので
一種のミステリと捉えられないこともない。
でも「焦土に立つ」は
SFの形を借りた西部劇か戦争小説です。
訓練を受けた人間がいない植民惑星で
どうやって異星人を撃退するか
という問題はありますが
それは戦略の問題であり
ミステリの興味とはちょっとズレる。
ではなぜ採用されたのか。
盛光社(以下略)の解説に
どう書いてあるかは分かりませんが
『S-Fマガジン』のルーブリックにある
以下の記述を読むと
何となく想像がつきます。
そこには
「ハードボイルドな主人公、
ドライな生と死、
それが、強烈な印象で
書かれています」
とありますので
ハードボイルド小説の一種として
捉えられたことが分かります。
ダシール・ハメットの
『赤い収穫』に基づいた
『毒には毒を』のような作品も
盛光社(以下略)のシリーズには
入っていますので
それを思えば、入れる理由も
分からなくはないですけど……
当時の読者はどう思ったんでしょうね。
というわけで
先の記事の続きを引っぱって
年を越すのも切りが悪い感じがするので
アップしましたが
こちらが本年最後の記事になります。
来年も
こんな感じに
なるかと思いますけど
お付き合いいただければ幸いです。m(_ _)m

ないし
盛光社鶴書房あるいは鶴書房の
ミステリ・ベストセラーズの第10巻
『物体Xの恐怖』(1965)に
併録されているのが
ゴードン・ディクソンの
「防衛司令官」であることは
先にも書いた通りです。
これの原作を突き止めるのは
難儀するだろうと思っていたのですが
勢いというものはあるもので
割と簡単に判明しました。
以下、そのレポートです。
ゴードン・ディクソンは
ゴードン・R・ディクスンというのが
大人向けの翻訳での通り名です。
これが分かると
例によって
大人向きの翻訳をリライトしたもの
という読み筋によって
翻訳を探してみると
1965年までの時点で
『S-Fマガジン』に
3編載っているだけでした。
幸い、『物体Xの恐怖』は
国会図書館の蔵書がデジタル化されており
その章題を自宅で確認できます。
そこで確認してみた章題は以下の通り。
・宇宙船マリアナ号
・K4宇宙砲ドーム
・ティカの絶望
・うらぎられた人びと
・森の殺し屋
・地上戦闘
・大好きなあなた!
ここまで分かった時点で
ピンと来る人もいるでしょうけど
自分はSF者ではないので
すぐには分からない。
調べものがあって
神奈川近代文学館に寄ったついでに
『S-Fマガジン』の該当号をあたってみて
ようやく判明した次第です。
原作は『S-Fマガジン』の
1962年12月号(3巻13号)に載った
「焦土に立つ」The Invaders(1952)でした。

訳者は坂田治となってますが
翻訳作品集成 ameqlist のディクスンの項目や
Wikipedia の矢野徹の項目によれば
これは矢野徹の別名義のようです。
つまり『物体Xの恐怖』は
矢野徹自身が訳したものを
自らリライトした作品集
ということになります。
以下、内容にふれます。
ミステリ的なトリックや
犯人当てを売りにした作品ではないですし
初読の驚きが失われないように
注意はしているつもりです。
その点をご理解の上で
お読みいただければと思います。
「焦土に立つ」は
異星人が狙う地球人植民惑星のひとつに
防衛司令官のヘクターが派遣され
撃退する顛末を描いた物語です。
今回の任務には
政府委員会の委員長を務める
女性惑星議員のティカが
お目付役のように同行しています。
政府委員会は
植民惑星住民に
絶大な権力を振るうことを許す
防衛司令官制度に反対しているという設定。
でも、植民惑星には
訓練を積んだ指揮者がおらず
防衛司令官は(それが悪なら)
いわば必要悪であり
遠く離れた地球で
理想論を語っている政府委員には
それが分かってないというのが
現場の人間の考えでした。
手許にある『耳をすます家』の
巻末に載っている各巻内容紹介のコピーに
「民主主義の悪しき原則に挑戦する防衛司令官」
と書かれているのは
こういう背景を踏まえてのもの
と考えていいでしょう。
植民惑星ラミアに降り立ったヘクターは
すぐさま戒厳令を敷き
市街戦を行なうつもりじゃないでしょうね
と問う知事に対して「たぶん」と答える。
ヘクターは
〈叢林に住む人【ブッシュ・ランナー】〉
と呼ばれる猟師集団の代表である
J・Jと協力しあって
自らも地上戦に参加し
最終的に異星人を撃退するのですが
自らも大怪我を負う。
こうした防衛司令官のやり口に
最初の内は反発していたティカですが
植民惑星の現実や
実践の有様を見て
最終的には自らの空理空論ぶりを
自覚させられることになる。
最後の方で
ある登場人物がティカに
次のように話しかけます。
「ぼくはあなたのことを
司令官やJ・Jから聞きました。
だから、ぼくのおばあさんが
話してくれたことを
言っておきたいんです。
女のひとが感情よりも、
考えで動こうとするときは、
いつもまちがうそうです。
それが、あなたが失敗した理由です。
これから、考えることは司令官にやらせて、
あなたは感情のほうを受け持つんです」
(『S-Fマガジン』1962.12、p.185)
コピーをとってきたのを読んでいて
上記の個所まできたときは
あまりのマッチョな考え方に
びっくりしてしまいました。
これは、今では受け入れられないだろうな
と思った次第です。
それはともかく
こういう話がなんで
ミステリを謳ったシリーズに
収められたのか。
『物体Xの恐怖』なら分かるんです。
南極基地というクローズド・サークルで
人間に擬態することのできる異生物が徘徊し
誰が異生物の擬態か分からない
というサスペンスものですし
どうすれば擬態であると
見破ることができるのか
どうすれば異生物を倒せるのか
という問題がテーマになりますので
一種のミステリと捉えられないこともない。
でも「焦土に立つ」は
SFの形を借りた西部劇か戦争小説です。
訓練を受けた人間がいない植民惑星で
どうやって異星人を撃退するか
という問題はありますが
それは戦略の問題であり
ミステリの興味とはちょっとズレる。
ではなぜ採用されたのか。
盛光社(以下略)の解説に
どう書いてあるかは分かりませんが
『S-Fマガジン』のルーブリックにある
以下の記述を読むと
何となく想像がつきます。
そこには
「ハードボイルドな主人公、
ドライな生と死、
それが、強烈な印象で
書かれています」
とありますので
ハードボイルド小説の一種として
捉えられたことが分かります。
ダシール・ハメットの
『赤い収穫』に基づいた
『毒には毒を』のような作品も
盛光社(以下略)のシリーズには
入っていますので
それを思えば、入れる理由も
分からなくはないですけど……
当時の読者はどう思ったんでしょうね。
というわけで
先の記事の続きを引っぱって
年を越すのも切りが悪い感じがするので
アップしましたが
こちらが本年最後の記事になります。
来年も
こんな感じに
なるかと思いますけど
お付き合いいただければ幸いです。m(_ _)m
