
(中公新書、2014年9月25日発行)
カバーおよびトビラには
「黒岩涙香から松本清張へ」
という副題が付いています。
東海大学の先生が書かれた
日本の探偵小説=推理小説=ミステリの
通史です。
まず、ミステリとはどういうジャンルか
また、ジャンルとして
どういう出自を持つか、という点について
聖書外典やギリシャ悲劇、
エドガー・アラン・ポオを紹介してから
日本のミステリ史に話を移していきます。
副題には、明治時代の
ミステリの翻訳家
(正確には翻案家)として
江戸川乱歩や横溝正史などに
大きな影響を与えた
黒岩涙香「から」となっていますが
日本人のミステリ文学に対する嗜好性
あるいはミステリという
ジャンルを受け入れる下地を確認するために
江戸時代の比事もの(名裁判官もの)から
説き起こしていっています。
江戸時代の比事ものの紹介や
明治初期の毒婦ものの紹介など、
また、涙香時代における
涙香以外の明治の作品
特に尾崎紅葉や泉鏡花といった
硯友社一派が書いた探偵小説を
紹介するくだりなど
掲げられた図版などの資料も含めて
さすがに大学の先生だけあって
興味深く読むことができました。
明治26年をピークとして
大正時代の初期に谷崎潤一郎や
佐藤春夫が登場するまでの
「雌伏の四半世紀」を紹介する章では
シャーロック・ホームズものの一編
「赤毛組合(赤毛連盟)」に
注目しているあたりが面白かったです。
谷崎潤一郎・佐藤春夫など
日本探偵小説の中興の祖を紹介した後は
江戸川乱歩の登場から松本清張の登場まで
一気に駆け足になっていますけど
まあ、これはしょうがない。
戦後に入ってからは
本格長編時代の横溝正史
「推理小説」という
用語を作った木々高太郎
戦後デビューの高木彬光
清張と同時期に登場した仁木悦子
といった面々の作品を紹介して
最後は中井英夫(塔晶夫)
『虚無への供物』(1964)への言及で
締めくくられています。
『虚無への供物』のラストに描かれる
「辛子いろのカーテン」が
「少しずつ左右からとざされて」いく
閉幕シーンで終えたのは
ちょっと気が利いていますね。
ところで
本書開巻早々の3ページでは
次のように書かれています。
ミステリーは一般に、
「謎を論理によって解明する操作を
おもな筋とする小説」と定義される。
それに、犯罪やその操作を取り扱ったもの、
という要素が加味されることもある。
だが広義では、論理的操作以外に
スリルとサスペンスを含んだものや、
探偵が登場するもの全般も意味し、
怪奇、幻想文学や、
スリラー、冒険、スパイ小説なども
含むこともある。
「操作」とあるのは
当方の変換ミスではなく
原本がそうなっています。
これは「捜査」の誤植なのか否か
ちょっと気になりました。
上記引用の4行目は
「捜査」でないと
意味が通らないと思うのですが……
ただ、上記のような定義のあとで
「ミステリーの大前提が、まず
『時間を遡って考える』
という行為にある」(pp.3-4)
と書いているのは、新鮮でした。
様々なエピソードやトピックに
言及されているものの
基本的に、中島河太郎が
『日本推理小説史』で示した史観が
踏襲されています。
一般の読書人はもとより
大学で近代文学を学んでいる学生でも
中島河太郎の『日本推理小説史』はもちろん
九鬼紫郎の『探偵小説百科』や
伊藤秀雄の『明治の探偵小説』、
小酒井不木や江戸川乱歩が書いた
日本探偵小説史についてのエッセイなどにも
まず眼を通さないでしょうから
そういう人向けの本としては
コンパクトにまとまった良本だと思います。
ただ一点、気になったのは
高木彬光の『刺青殺人事件』や
仁木悦子の『猫は知っていた』の
ストーリーを最後まで書いているだけでなく
犯人の名前を明記していること。
明治時代の作品なら
あるいは現在、手に入りにくい作品なら
百歩譲って、いいとしても
『刺青殺人事件』
『猫は知っていた』という
いずれ劣らぬ傑作の犯人をバラすのは
不味いでしょう。
研究論文ではなく通史なのですから
未読の読者の楽しみを奪うようなことは
避けてほしかったところです。
これから本書を読もうという方は
ご注意くださいませ。
