『服用禁止』
(1938/白須清美訳、原書房、2014.4.10)

アントニイ・バークリーといえば
かつては、傑作の誉れ高い
『毒入りチョコレート事件』(1929)の
作者として
あるいは、フランシス・アイルズ名義の
『殺意』(1931)や
ヒッチコック映画
『断崖』(1941)の原作である
『レディに捧げる殺人物語』(1932)の
作者として
よく知られておりましたが
国書刊行会から
『第二の銃声』(1930)の新訳が
刊行されて以降
その全作品が邦訳されようかというくらい
日本での再評価が著しい作家の一人です。

実際、『服用禁止』が出たことで
未訳の長編ミステリは
あと1冊になりました。

ここで取り上げる『服用禁止』は
イギリスの週刊誌に連載されたらしい
ノン・シリーズものの長編です。


以下、感想を書きます。

犯人やトリックの詳細には
ふれていませんが
本文の最後に、誤った解決について
曖昧な形で、ではありますが
ふれていますので
まっさらな状態で読みたい方は
ご注意ください。




『毒入りチョコレート事件』は
ひとつの毒殺事件に六通りの解決を示す
いわゆる多重解決ものの作品として
よく知られていますし
その他の作品も
シリーズ探偵を虚仮にしたりして
謎解きミステリ読者の
関節を外すような
ひねくれた作品を書いており
そうした実験性・前衛性が
再評価のポイントかと思いますが
本書『服用禁止』は
ややおとなしめ。

途中に、雑誌の企画に応えて(?)
読者への挑戦状を挟んだせいか
ひねくれた作家には珍しく
割と真っ当な
謎解き小説に仕上がっています。

ミステリ系の第一長編
『レイトン・コートの謎』(1925)を
刊行した時のように
「?」名義で発表していたら
バークリーの作品だとは
誰も気づかなかったかもしれません。


とはいえ、解説でも
語り手が図書館で読んだ
アメリカの推理小説に出てくる
「弱いものいじめをし、威張り散らし、
大声でわめく不愉快千万な警察官たち」が
ヤードから来た警官の「温厚さ」を見たら
「能なしと考えることだろう」(p.194)
という部分を指して
「メタ・ミステリというほどではないが」
「作者自身のものとおぼしいミステリ観も
 内包されている」(p.301)
と指摘されている通り
バークリーのミステリらしい
くすぐりのようなものが
垣間見られはします。

上記の部分以外では
以下のような第6章の出だし
「この記録を探偵小説と考えるなら、
 わたしの書き方は
 まったく間違っているといえよう。
 これだけのページを費やして、
 ようやく普通の探偵小説が
 始まるところまで
 来たに過ぎないのだから。
 (略)
 しかしわたしは、ジョンの死を
 探偵小説と考えたくはない」(p.117)
というあたりにも
バークリーらしさがうかがえます。

この第6章の冒頭は
『第二の銃声』に付された
自序以来の考え方が
示されているものといっても
いいかもしれません。


中盤で描かれる
検死法廷の進行など、
前年に発表された傑作
(現在は邦題が『試行錯誤』と改題されている)
『トライアル&エラー』(1937)ほどでは
ないにせよ、
ユーモア・ミステリ的な感じで
楽しかったです。

とはいえ
ただ楽しいだけのドタバタではありません。

初期のバークリーは
ユーモア作家として
名をなそうとしていたこともあり
本作品も風俗小説としての描写が
しっかりとしているので
ミステリとしての興味とは別に
ロンドン郊外のコミュニティの雰囲気や
第二次大戦直前という
時代状況をうかがわせる書き込みが見られて
たいへん興味深いのです。

検死法廷の場面では
被害者宅にいた
オーストリア国籍の
外国人料理人が呼ばれて
自分はナチだから
ユダヤ人とは一緒にいられない
とオーストリア訛りで発言するのを
ユーモラスに描いてみせる
ところがあります。

その背景には
料理人という名目だと
外国人労働者が簡単に入国できるという
当時の社会状況があるわけで
登場人物が
政府(労働省)が専門資格を問うべき
と発言する場面も出てきます(pp.189-190)。

外国人家政婦に対する規制を緩和して
女性労働者の社会進出
ないし労働参加を促そうという
日本の現政府の
経済活性化の方針なども連想されて
なかなか興味深く読みました。


243ページには
被害者の、知られざる愛人に会った時に
その愛人が被害者について
誰が彼を殺したいと思うでしょう
彼のことが「とても好きでした」
と言ったのを受けて
語り手のモノローグとして
「つまり、
 きみは彼を愛していなかったのだ、
 とわたしは思った。
 彼もまた、
 きみを愛していなかったに違いない。
 それでこそ、きみたちは
 完全に穏やかな形で互いを敬い、
 思いやることができたのだろう。
 愛という人類の呪いにつきものの、
 理想的な関係という
 やっかいなことは抜きにして」
という、意味深な表現が突然出てきて
と胸を突かれたことでした。

バークリーのニヒリズムが
垣間見られるフレーズだと思います。


この他にも
語り手とその妻の関係など
夫婦関係の描写には
なかなか含蓄がありました。

そういう細部のナラティヴを
いちいち面白がらせるあたりが
本作品の風俗小説たるゆえんだと
思うわけで
おとなしめな作品ではありますけど
しっとりと楽しめた次第です。


それにしても
読者への挑戦状が出てきた時は
びっくりしました。

動機についての伏線は
それなりに張られているのですが
犯行方法はかなりリスキーだと思います。

自分はしっかり
キャラメルをめぐる伏線に
引っ掛かりましたが
ミステリを読みなれた読者ほど
あれには引っ掛かるというか
バークリーのシリーズ・キャラクターである
ロジャー・シェリンガムなら
嬉々として語りそうなトリック
ないし
真相だと思います。

と、口惜しいから、書いておこう(笑)


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