
(2012/駒月雅子訳、
ハヤカワ・ミステリ、2014.2.15)
今年の2月に出た本を
ようやく今ごろ読み終えました。
どうせ傑作だろうと思って
取っておいたということもあるのですが
やっぱり傑作でした。
ハンガリーの「血の公爵夫人」
エルジェーベト・バートリや
ロシアの大量殺人者
アンドレイ・チカチーロなど
歴史上にその名を残す
残虐な事件をテーマとする
ノンフィクション作家
ジュリアン・ウェルズが自殺する。
友人で文芸評論家の
フィリップ・アンダーズは
ジュリアンが書いた本の
軌跡をたどりながら
自殺の理由を探っていく
というお話です。
一読した印象は
ロバート・ゴダードみたい
というものでした。
ジュリアンの著作に合わせて
様々な国に赴き
人の話を聞くという
巡礼形式を
採用しているからかもしれません。
作家論寄りの解釈をすれば
クック自身
犯罪ノンフィクションの著書が
あることもあり
そうした本を書いていると
人間の徳性に信頼を置けず
暗い気持になるという実体験が
本作品には反映されている気も
しないではありません。
ただ、これまでのクックの本に比べると
かなりブッキッシュな作りになっている
というか
様々な文芸作品や
物語におけるパターンへの言及が多い
という感じがしますけど
それも文芸評論家を視点人物に
したためでしょうか。
ミステリ系では
スパイ小説への言及が多く
エリック・アンブラーの
『ディミトリオスの棺』(1939)が
出てきたときは
懐かしいなあという感じでした。
ただし、これは
メイン・モチーフとも絡む言及で
『ディミトリオスの棺』の
イギリス版の原題が
The Mask of Dimitrios だと知っていると
興味がいや増すかと思います。
(邦題はアメリカ版のタイトルに拠ります)
いろいろと引用したくなるフレーズが
いっぱい出てくる作品ですが
ムッソリーニが子供じみた
自己顕示欲の強い男であったことに
ふれた後に出てくる
「権力を握った男が子供では困るんだ」
(p.187)というのは
「法制局長官のほうが、総理大臣より偉いのか」
(平川克美『路地裏の資本主義』角川SSC新書、p.66)
と呟いたとかいう
どこぞの国の権力者にも
通用するような気がしたり。
ただこれは、クックからすれば
母国に対する批判でもあったようにも
読めなくはないのですけどね。
アメリカという国は
正義を僭称して
様々なことをやってきましたが
アメリカが掲げてきた「正義」や
理想主義の持つ危うさに対する
批判的な視線が
作品から感じられなくもない。
それが、ジュリアン・ウェルズが
自殺した理由と
密接に関わってくるあたりは
謎解きと作品のテーマとが
上手く結びついているといえるでしょう。
様々なピースが
最後にひとつの絵を作り上げる
という快感を
味わうことができる作品です。
ただ、きれいにまとめず
妙に解釈をずらす手つきが
クック的には珍しいような気がしました。
まるで、整合性のある
美しい物語に収束させることを
避けているようにも感じられます。
美しい物語に充足することは
暗い現実に向き合うことからの
回避であるといわんばかりに。
それでも個人的には、最後は
きれいにまとめていると思いますけどね。
だから読後の後味が
非情にいい作品に仕上がっています。
