
(2008/柳沢由実子訳、東京創元社、2014.7.25)
クルト・ヴァランダー刑事シリーズで知られる
スウェーデンのミステリ作家
ヘニング・マンケルの
ノン・シリーズものの長編です。
以下、ストーリーやプロットに
やや詳しくふれています。
犯人当て小説の類いではありませんが
未読の方はご注意ください。
スウェーデンの過疎村で
19人もの村人が惨殺される
という事件が起きました。
殺されたのは同じ姓を持つ人々で
三種類のグループに分けられますが
その被害者の一家族が
自分の亡くなった母親の養父母であると知った
ヘルシングボリに住む女性裁判官が
事件のあった過疎村に向かい
そこから150年にも遡ろうかという
復讐劇に巻き込まれていく
というお話です。
第一部が事件が発見され
女性裁判官が過疎村で発見したことが
語られます。
これが2006年のこと。
第二部で、いきなり時代は
1863年の中国に飛び
両親が自殺したために
村を捨てて広東に向かった
三兄弟の運命が
次男の視点から語られていきます。
広東から
奴隷商人に騙されてアメリカに向かい
大陸横断鉄道の敷設に従事し
中国へ帰る船上で
スウェーデン人宣教師と知り合い
中国に着いてから
宣教師の元を離れるまでの
苦難の歴史が綴られます。
その苦難の歴史の中で
特に大陸横断鉄道敷設工事の際に
スウェーデン人の監督に恨みを抱き
その恨みを
孫の世代に当たる人間が晴らす
ということが
第二部の最後で
読み手にも見当がつくように
描かれています。
そうして事件の背景が
明かされてから
時代は再び現代(2006年)に戻り
まさに怒濤の展開という感じ。
学生時代には
左翼運動に従事していた女性裁判官が
友人と連れ立って
北京に行くのが第三部。
さらに第四部では
北京オリンピックを控えた中国の
極秘の経済政策が絡んできて
古い思想をいただく世代と
新しい思想をいただく世代との対立が
アフリカを舞台に描かれます。
そして最終的に事件の決着は
ロンドンのチャイナタウンで付く
といった次第。
スウェーデンの過疎村で起きた
大量殺戮事件の遠因が
アメリカの開拓時代にまで遡るという
縦の時間軸の広がりと
その舞台が中国、アフリカ、イギリスという
横の空間軸の広がりとで構成された
実にスケールの大きい物語に仕上がっていて
まずそこが、読みどころのひとつでしょう。
貧しい中国人兄弟の物語は
いささか古風すぎる
という印象は拭えませんでしたが
中国の特権階級による
経済政策の裏面を描く筆致は
妙にリアルというか説得力があるというか
なんで北欧の作家が
ここまで中国のことが書けるんだろう
という驚きを感じさせられました。
第三部で描かれる
スウェーデン人女性裁判官が
北京で経験する奇妙な体験もまた
妙にリアルでありました。
中国人兄弟の物語が語られ
開拓時代の復讐を行なうというプロット自体は
コナン・ドイルの時代から
何ら変わらないものという印象を受けました。
そこで連想するのは
たとえば『緋色の研究』などですが
意外なところでは
森村誠一の『人間の証明』なんかとも
ちょっと近い印象があったり。
ただ、そうした古風なプロットから
中国の特権階級による
極秘経済政策につながっていくあたりが
現代のミステリという感じですね。
ここで描かれている中国の
農村の貧困を背景とする格差の解決の付け方は
背景やスケールこそ違え
株式会社的な論理で経済政策に乗り出す
昨今の日本のありようを
彷彿させるものがあって
なかなか興味深かったです。
日本でいうなら
いわゆる全共闘世代にあたる
女性裁判官が
中年の危機の真っ只中にあって
過去の自分の運動を回想しながら
その未熟さに想いを馳せ
運動時代の友人との友情を復活させたり
夫婦の危機を乗り越えたりといった
人間くさいドラマも絡んでくるあたりも
読みどころのひとつでしょうね。
ミステリとしては
細かい点が二、三、
説明されないまま残されていて
それ自体は余韻を残してはいるものの
ちょっと気にならないでもありませんでしたが
もとより純粋な謎解き小説ではありませんし
サスペンスないしスリラーとしては
これはこれでいいんでしょう。
上下あわせて
600ページを超す厚さではありますが
ミステリ的な謎解きの興味よりも
大河的な物語の方に興味を抱ける人なら
充分、楽しめるかと思います。
