
(講談社、2013年1月24日発行)
著者名は「めんじょう・つよし」と読みます。
今年度の日本推理作家協会賞の
評論その他の部門の候補となりました。
新刊で出た時
買おうと思っていたのですが
そのまま忘れてしまっていたという(^ ^;ゞ
協会賞の候補になったと知って
買っとかなきゃと思ってたところ
先週の金曜日、BOOK-OFF で見つけて
ナイス・タイミングとばかりに
購入した次第です。
著者は『小説新潮』編集部に在籍時代
笹沢左保と川上宗薫を担当しており
それもあって
今回、上記の二人に関する
懐旧的作家論を試みたものです。
笹沢や川上など、当時の流行作家と
現代の流行作家との違いとして
マガジンライターとブックライター
という区別を立てているのが
なかなか興味深かったです。
ちなみに自分、
笹沢左保の方は
初期の現代ミステリと
木枯し紋次郎シリーズの一部の作品を
読んだことがありますけど
残念ながら川上宗薫の方は
ミステリである『六人目の女』も含め
読んだことはありません。
この二人の作家が
どのような言動や素行で話題になったのかも
まったくといっていいほど
知りませんでしたので
その「壮絶な」といえそうな生き方を
(「生きざま」を、といってもいいけど)
今回の本を読んで初めて知りました。
川上宗薫が水上勉と仲違いしてた
というのは、へえ、という感じでした。
あと、石川達三が
「『ペンの自由には、
ポルノは含まれなくてもいい』
というような発言をして、
川上を困惑させた」(p.153)
という記述にも驚かされました。
発言の前後の文脈は分かりませんが
文壇の重鎮が議論抜きで
表現行為を十把ひとからげに捉え
差別するような発言をしたのだとしたら
びっくりです。
上に書いたように
川上宗薫はまったく読んでませんので
この本に書かれている議論については
どうこういえないのですが
川上宗薫はエロ作家か否か
という点については
どのような記述(描写)に
性的興奮を覚えるかというのは
人それぞれでしょうから
著者の議論は説得力が乏しいように思います。
また笹沢左保については
『木枯し紋次郎』や『宮本武蔵』などが
評価されない(売れない)理由として
ドンデン返しを中心としたため
登場人物のキャラクターに深みが出ず
読者の支持を得られなかったから
というような論じ方をしていますが
売れない理由としては
そういうことなのかも知れませんけど
プロット重視の作風について
充分に評価しきっていない点は
やや違和感を覚えました。
それはたぶん、自分(老書生)が
ミステリ・ファンだからだと思いますけど。
笹沢左保の初期のミステリは
トリックやプロットという側面から見ると
すごいものが多いです。
特に『霧に溶ける』(1960)、
これを初めて読んだ時は
そのプロットのすごさと
ある現代作家(既に物故者ですが)の
作品のアイデアの先駆的なものであることに
驚愕させられたものです。
1957~1987年に日本で刊行された
いわゆる本格ものを紹介するガイド・ブック
『本格ミステリ・フラッシュバック』(2008)に
笹沢の作品は10本あげられています。
これは、鮎川哲也・泡坂妻夫・辻真先
西村京太郎・松本清張・連城三紀彦と同数で
いかに笹沢が、近年の評者によって
本格ミステリ作家として注目されているかを
よく示しているといえます。
一般的な読者とは異なるのだとしても
本格ミステリという視点からの評価が
校條の本では、すくいあげられておらず
そこがミステリ・ファンとしては
残念でなりません。
でもまあ、それを措くなら
作家の「生きざま」を描いた本としてみれば
興味は尽きないといえるでしょう。
特にその女関係をめぐる
華やかであると同時に壮絶なありようは
強烈な印象を残します。
その意味では、ややオヤジ的というか
青年誌的な内容だといえそうです。
銀座で酒を呑んで女を侍らせて……
みたいなイメージで
作家を捉えている人向き、というか。
著者があとがきで書いている通り
笹沢左保と川上宗薫なんて
今の読者、特に若い読者は
知らないでしょうけど
この本を読めば
笹沢や川上の本を(特に後者を)
読んでみたくなるかも知れませんね。
ただし、紙の本はとしては
ほとんど絶版のようで
電子書籍版が多いようですが
最近の読者には
そちらの方がいいのかも。
