
(1950/井上一夫訳、創元推理文庫、1967.5.26)
こちらも『動く標的』(1949)同様
最初は東京創元社の
『世界推理小説全集』第53巻として
1958年に刊行され
その後、同じ訳が文庫化されました。
上の写真のカバーは
1970年11月27日発行の
第5刷のもので
初版のカバーは
イラストが異なっていたようです。
私立探偵リュー・アーチャーの
長編シリーズ第2作で
こちらも映画化され、日本では
『ハーパー探偵シリーズ/
新・動く標的』(1975)
という題で公開されました。
こちらはオンデマンドでも
DVDの発売はなく
レンタル・ビデオでしか
観られないようです。
不倫を暴いてやるという
脅迫状を受け取った主婦が
差出人を突き止めてくれと
アーチャーに依頼に来るところから
物語は始まります。
パターンとしては
ポイズンド・ペン poisoned pen
すなわち「中傷の手紙」ものですね。
アーチャーは差出人を特定するため
身分を偽って依頼人の家を訪れるのですが
そこで依頼人の義母が
何者かにプールに突き落とされて
心臓マヒを起こして死んでしまう。
そこから事件は
中傷の手紙ものから
家庭内の殺人ものに変わりますが
その家が建っている土地には
石油が眠っていて
その採掘権をめぐっての
謀りごとが絡んできて
事件は複雑な様相を呈してきます。
とはいうものの、
要するに本格ミステリでお約束の
容疑者の訊問が続く代わりに
アーチャーの調査活動が描かれる
といったストーリーなわけで
構造自体は、いわゆる本格ミステリと
径庭はないと思いながら読みました。
プールに突き落とされて死ぬ
ということだけで
The Drowning Pool(これが原題)
というタイトルになったわけでは
なさそうでして
捜査の過程で出会った女に
アーチャーが誘惑される場面があって
そこでは次のように書かれています。
その唇に接吻してやると、
彼女の爪先がわたしの足の甲を踏み、
手がわたしの体をなでまわす。
わたしは逆巻く渦から身を引いた。
魔のプールだ。(p.155)
ここ、原文では
どうなっているか分かりませんが
自分を破滅させる(溺れさせる)場所(もの)
というニュアンスもありそうですね。
個人的には、この作品の犯人像が
当時、どう受け取られたのか
知りたい気がします。
これ以上詳しく書けないのが
ちょっともどかしい(苦笑)
ちなみに、68~69ページの
ホームパーティーの場面は
次のように書かれています。
わたしは彼らの話に耳を澄ましていた。
実存主義という言葉がよく出た。
ヘンリー・ミラー、トルーマン・カポーテ、
ヘンリー・ムーア。
アンドレ・ジードにアネ・ナン、
ジュナ・バーンズ。
それに性[セックス]だ。
ハードボイルドな性[セックス]に、
秘められた性[ポーチド・セックス]、
とろ火で焼いたようなのや、
強火で皿焼きにしたようなの、
甘い新鮮な直売バターで
手軽にフライにしたような性[セックス]。
さらに性[セックス]のソロ、デュエット、
トリオ、カルテット。男声合唱。交響楽。
それに大時代のハープシコード。
話はアルバート・シュヴァイツァーから、
生きとし生けるものの尊厳という問題に移る。
まるでイギリスの郊外族の
あるいは知的な芸術家気取りの人々による
ホームパーティーのようです。
(単なる印象に過ぎませんが)
それにしても、アネ・ナンって
アナイス・ニンのことでしょうか???
「ハードボイルドな性[セックス]」って
何なんでしょう???
それはともかく、
こういうスノッブな風俗描写にぶつかると
キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
という感じで(苦笑)
これもひとつの
ロス・マク節かと思いますが
これが今後変わっていくのかどうか。
楽しみですなあ( ̄▽ ̄)
あと、もうひとつ
思いついたことを書いとくと
アーチャーが鏡に映った自分の姿を見る
という場面があって
『動く標的』にも
鏡を見る場面がありましたから
そういう形で
アーチャーを三人称的に描く視点を
すべり込ませているのかもしれません。
だから何、といわれると
困るのですが f^_^;
一人称の私立探偵小説だと
ヒーローが自分自身を相対的に見る視点が
語りの面からは確保しがたいので
鏡というアイテムを導入したのかなあと。
ちょうど
カメラ・アイが探偵の視点でもある
レイモンド・チャンドラーの小説に基づく
映画『湖中の女』(1947年公開)の
鏡のシーンみたいなものか、と。
ちょっと思いついたので
書き留めておく次第です。
