$圏外の日乘-『猿とエッセンス』
(1948/中西秀男訳、サンリオSF文庫、1979.1.30)

『すばらしい新世界』から数年おいて書かれた
ハクスリーのSF系作品、第2弾です。

原題は Ape and Essence で
『猿と本質』という訳題の本もあるようですが
この表現自体はシェイクスピアの
『以尺報尺(尺には尺を)』に出てくる
人間の本性はガラスのように脆いのに
猿のような馬鹿騒ぎを神の前で行なう
(これは本書40ページにある訳をまとめたもの)
という台詞に由来するそうです。


第三次世界大戦が起きて
原子爆弾の使用により
ニュージーランドを除く
すべての国家・大地が崩壊した後の世界を舞台に
もともとはアメリカだった大陸に棲む
原始的な異教者集団に捕らわれた
ニュージーランド人の植物学者の目を通して
核戦争後の新世界の文化風俗を描いた作品
というふうに、まとめられましょうか。

核戦争後の世界という設定自体
現代ではありふれたものですが
広島・長崎に原爆が落された
3年後に書かれた作品ということもあり
発表当時は
イギリス知性派の作家による警鐘として
注目を浴びたかもしれません。

野蛮な文化とそこでの宗教と
セックスという要素が
『すばらしい新世界』に続いて
こちらでも盛り込まれており
(ただしセックスの扱い方は真逆ですが)
これはもう、ハクスリーの設定癖
という感じがします。


作品自体は、上記の内容を書いた
映画のシナリオという外枠が設定されていて
従って大部分、映画シナリオ風に書かれています。

そこは実験小説っぽいのですが
意味があるのか、効果的か、面白いのか
と聞かれれば
うーん、と
言葉を濁さざるを得ない感じで(苦笑)


シナリオ部分の前半は
ちょっと、柳広司の『新世界』(2003)の
後半に出てくる幻想シーンを
思わせなくもない印象を受けました。

『新世界』は核開発をテーマとしていますから
似ているのは当然ですが。

似ているといえば
『猿とエッセンス』の最後は
映画『猿の惑星』(1968。原作は1963)の
ラストを連想させもします。
設定は異なりますし
映画のような意外性の仕掛けのつもりで
書いたのではないでしょうが。


ちなみに、サンリオSF文庫版の古書価は
この作品については
1500円前後が相場のようです。

それより安く見つけたら買いでしょうが
ただ、翻訳は酷いです。
というか、固有名詞の訳し方が
当方の言語感覚に合いません。

シュレーディンガー(1887-1961)を
「シュルディンガー」と訳すのは
英語読みに合わせたということで
まだ許容範囲かもしれませんが
縦笛のリコーダーを「レコーダー」と訳すのは
違和感を覚える人が多いのではないかと。

インドの民衆にふれた箇所で
「大我(アットマン)だかブラーマンだか」
とありますけど
自分が学校で習ってきた感覚だと
「アートマンだかブラフマンだか」
と訳してほしい感じがしますし。

シナリオ部分のナレーターの台詞を
すべてカタカナ表記にしているのは
おそらく原文がイタリック表記なんでしょうが
訳文の悪さと相まって
読みにくさに与っているとしか思えない。

200ページほどなので
何とか読み終えましたが
この作品なんかも
改訳してほしいところですね。