
(1932/黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫、2013.6.20)
ちょっと必要があって買ったのですが
その「必要」には間に合わず f^_^;
でも、後学のために読み終えました。
ユートピアならぬ
ディストピアを描いた小説として
非常に有名な作品ですけど
(最近はどうか知りませんが)
お恥ずかしながら
今回初めて読みました。
角川文庫版も持ってたんですが
(でも未読【^^ゞ )
せっかくですから
一番新しい訳で読んでみた次第。

(1932/高畠文夫訳、角川文庫、1971.6.30)
上の、角川文庫版のカバーは
映画から取ったもののような感じですが
文庫刊行の頃、映画化されたこともなく
どうやらオリジナルのようです。
それはともかく、
光文社古典新訳文庫版は
たいへん読みやすかったです。
特に「訳者あとがき」の註がよろしい。
こういう説明がある翻訳書は好きです。
ハクスリーはイギリスの小説家で
仏教やヒンドゥー教に対する知見があり
LSDやメスカリンの体験記なども
書いているので
英米ではカルト作家の扱いに
なっているかと思います。
たまたま手許にあるけど
めったに開かない
Andrew Calcutt & Richard Shepherd の
Cult Fiction: a reader's guide(1999)
というカルト作家事典にも
項目があるし(びっくり)
対して、日本では
『恋愛対位法』(1928)と
『すばらしい新世界』を書いた
純文学の作家として
(あるいはミステリ・ファンには
「ジョコンダの微笑」を書いた作家として)
知られているのではないかと思いますが
それでも近年はあまり読まれない作家に
なっているのではないでしょうか。
自分は、
ジェイムズ・ジョイスの
『ユリシーズ』(1922)を読んで
いっとき前衛文学に凝っていた頃、
岩波文庫版で『恋愛対位法』を読みましたが
(内容はすっかり忘れてます【苦笑】)
『すばらしい新世界』なんかは
純文学者の書いたSFとして
むしろ敬して遠ざけていました。
今回、初めて読んで
まあ、管理社会に対するに
野生児を持ってくる辺り
ベタな気はしましたし
インディアン居留地みたいなところで育った
野生児の過去を描く章は
(ベタで、古臭い感じがされ)
ちょっと、げんなりしましたが
それ以外は、退屈せずに読めました。
前衛文学っぽい書き方という点では
第3章のカットバックによる
対位法的な書き方が
今となっては当たり前の書き方ですが
いまだに清新な感じを残しているのは
さすがといえばさすがです。
「友達の効用のひとつは、
敵に加えられない攻撃を
(いくらか穏やかなシンボリックな形で)
受けとめてもらう犠牲者にできることだ」
なんていうシニカルな表現があって(p.256)
いかにもイギリスの知性派作家らしい。
ハクスリーがこの作品で描く世界は
管理社会は管理社会なのですけど
分かりやすいディストピアではありません。
というのも
ここに描かれる管理社会の手法は
ハクスリーが晩年に書いた
ユートピア小説といわれる『島』(1962)では
肯定的なものとしても扱われており
その意味では、なかなか複雑というか
一筋縄ではいきません。
第17章で描かれる
世界統制官と野生児ジョンとの対話は
単なる善悪の対決にとどまらない
面白さがあるように思われます。
これをきっかけに
ハクスリーのSFないし幻想系の作品を
続けて読んでみたり(『島』もそのひとつ)
純文学系の小説を古本で探したりして
今年の夏は、ハクスリーの
プチ・マイブーム状態だったのですが
『すばらしい新世界』以外の小説については
また次の機会に。
ちなみに
『すばらしい新世界』の原題は
Brave New World といいます。
このフレーズ自体は
シェイクスピアの『テンペスト』から
採ってきたもののようですが
ここで使われている Brave は
近年、キョウリュウジャーで
さんざん使い回されている
ブレイブと同じです。
そうと知ると
いっそう親しみが湧いてくるから
現金なもので(苦笑)