ヲ仲間のGさんから
出ていることを教えられました。

(青土社 2012年8月25日発行、44巻10号、通巻615号)
『ユリイカ』という雑誌は
「詩と批評」という角書きがあるように
まあ、いってみれば文芸誌なのですが
サブカルチャーなんかの特集も
組まれることがあります。
それでも今回のように
平成仮面ライダーの特集が組まれるとは
思いもよらず
ちょっとびっくりさせられました。
特集名は「平成仮面ライダー」ですが、
「『仮面ライダークウガ』から
『仮面ライダーフォーゼ』、そして
『仮面ライダーウィザード』へ
…ヒーローの超克という挑戦」と
やたらサブタイトルが長い(苦笑)
めちゃくちゃ売れてて
もうないかなあと思っていたら
新宿の紀伊國屋書店には
まだずいぶん平積みになってました。
通常の評論は2段組み、
インタビューや対談・座談会は3段組みで、
活字が一般の書籍と比べて小さいので
読み終わるのにやたら時間がかかりました。
執筆者は
名前を知っている人もあり
知らない人もあり
いわゆる特撮系の雑誌やムックでは
名前を見かけないような人がほとんどです。
その代わり、人文系の文芸誌・評論誌で
名前を見かける人がちらほら。
びっくりしたのは川上弘美が
井上敏樹と宇野常寛の対談に
加わっていることで
なんでこんなところに……
という感じでした。
SF系の人脈で、なのかなあ。
その井上・宇野・川上の座談会や
白倉伸一郎・国分功一郎の対談、
小林靖子へのインタビューが面白く、
その小林を論じた矢内賢二の
「小林靖子と河竹黙阿弥」は勉強になりました。
井上伸一郎の原稿も載っていて
これも高寺Pと白倉Pの違いがよく分かって
なるほどなーと思わせられる一本でした。
各平成ライダーについての論の中では
『仮面ライダー555』を論じた境三保、
『仮面ライダー剣』を論じた真実一郎、
『仮面ライダーW』を論じた小野俊太郎、
『仮面ライダーオーズ/OOO』を論じた
水無田気流の原稿が、
それぞれ読みやすくて面白かったです。
これは自分の趣味嗜好によるものでしょうけど
全体としてお話づくりの技巧を論じたり
受容された社会背景を踏まえて
現代社会の意識(無意識)を論じたり
といったものが面白かったです。
『ユリイカ』という雑誌の特集ですから
本来は特撮ものを専門としないライターが
自分の専門ジャンルの知見を援用して
作品を論じていくというのは、まあ筋ですし
そういう対象と知見との
異色のコラボがどういう反応を起こすかが
読みどころになるわけですが
中には明らかに
牛刀をもって鶏を割く、の愚に陥っている
と感じさせる評論もあります。
特にフロイトやらラカンやらの理論を用いて
作品を切ろうとしている論考は
そうした精神分析学的クリシェを
平気で使いまわすノリに
ちょっと付いていけなかったり……。
(そういう評論は個人的に嫌いなのですよ)
人文科学上の知見を
大衆的な人気を博している作品に当てはめて
この作品はこう読めますよ
というだけでは、
自分の頭の良さを
ひけらかしているだけのような気がします。
評論というのは
対象を論じることで
作品の新たな魅力を引き出したり
作品の位置づけを変えたり
作品を媒介として
新たな視点を提示したりする、
社会や美に対する見方を変える
そういうものなんじゃないか、と思うのです。
(ここでいう「美」というのは
単に美しいということではなく
正しさの基準というニュアンスも入ってます)
フロイトやラカンの用語を使って分析されても
それは分析できたというだけであって、
なるほど、だからこの作品は面白いのか
なるほど、この作品にはそういう意味があったのか
と納得させられることはありませんもの。
(少なくとも自分には……)
全体的な印象としては
『ユリイカ』の読者を想定して書かれた
頭でっかちな評論が多い
というものでした。
ニューアカ、と
いまだにいうのかどうか知りませんが
そういう思想系の評論が好きな人向けです。
キャストやスタッフへのインタビュー、
対談・座談会は面白かったので
そこだけ立ち読みすればいいかも(笑)
出ていることを教えられました。

(青土社 2012年8月25日発行、44巻10号、通巻615号)
『ユリイカ』という雑誌は
「詩と批評」という角書きがあるように
まあ、いってみれば文芸誌なのですが
サブカルチャーなんかの特集も
組まれることがあります。
それでも今回のように
平成仮面ライダーの特集が組まれるとは
思いもよらず
ちょっとびっくりさせられました。
特集名は「平成仮面ライダー」ですが、
「『仮面ライダークウガ』から
『仮面ライダーフォーゼ』、そして
『仮面ライダーウィザード』へ
…ヒーローの超克という挑戦」と
やたらサブタイトルが長い(苦笑)
めちゃくちゃ売れてて
もうないかなあと思っていたら
新宿の紀伊國屋書店には
まだずいぶん平積みになってました。
通常の評論は2段組み、
インタビューや対談・座談会は3段組みで、
活字が一般の書籍と比べて小さいので
読み終わるのにやたら時間がかかりました。
執筆者は
名前を知っている人もあり
知らない人もあり
いわゆる特撮系の雑誌やムックでは
名前を見かけないような人がほとんどです。
その代わり、人文系の文芸誌・評論誌で
名前を見かける人がちらほら。
びっくりしたのは川上弘美が
井上敏樹と宇野常寛の対談に
加わっていることで
なんでこんなところに……
という感じでした。
SF系の人脈で、なのかなあ。
その井上・宇野・川上の座談会や
白倉伸一郎・国分功一郎の対談、
小林靖子へのインタビューが面白く、
その小林を論じた矢内賢二の
「小林靖子と河竹黙阿弥」は勉強になりました。
井上伸一郎の原稿も載っていて
これも高寺Pと白倉Pの違いがよく分かって
なるほどなーと思わせられる一本でした。
各平成ライダーについての論の中では
『仮面ライダー555』を論じた境三保、
『仮面ライダー剣』を論じた真実一郎、
『仮面ライダーW』を論じた小野俊太郎、
『仮面ライダーオーズ/OOO』を論じた
水無田気流の原稿が、
それぞれ読みやすくて面白かったです。
これは自分の趣味嗜好によるものでしょうけど
全体としてお話づくりの技巧を論じたり
受容された社会背景を踏まえて
現代社会の意識(無意識)を論じたり
といったものが面白かったです。
『ユリイカ』という雑誌の特集ですから
本来は特撮ものを専門としないライターが
自分の専門ジャンルの知見を援用して
作品を論じていくというのは、まあ筋ですし
そういう対象と知見との
異色のコラボがどういう反応を起こすかが
読みどころになるわけですが
中には明らかに
牛刀をもって鶏を割く、の愚に陥っている
と感じさせる評論もあります。
特にフロイトやらラカンやらの理論を用いて
作品を切ろうとしている論考は
そうした精神分析学的クリシェを
平気で使いまわすノリに
ちょっと付いていけなかったり……。
(そういう評論は個人的に嫌いなのですよ)
人文科学上の知見を
大衆的な人気を博している作品に当てはめて
この作品はこう読めますよ
というだけでは、
自分の頭の良さを
ひけらかしているだけのような気がします。
評論というのは
対象を論じることで
作品の新たな魅力を引き出したり
作品の位置づけを変えたり
作品を媒介として
新たな視点を提示したりする、
社会や美に対する見方を変える
そういうものなんじゃないか、と思うのです。
(ここでいう「美」というのは
単に美しいということではなく
正しさの基準というニュアンスも入ってます)
フロイトやラカンの用語を使って分析されても
それは分析できたというだけであって、
なるほど、だからこの作品は面白いのか
なるほど、この作品にはそういう意味があったのか
と納得させられることはありませんもの。
(少なくとも自分には……)
全体的な印象としては
『ユリイカ』の読者を想定して書かれた
頭でっかちな評論が多い
というものでした。
ニューアカ、と
いまだにいうのかどうか知りませんが
そういう思想系の評論が好きな人向けです。
キャストやスタッフへのインタビュー、
対談・座談会は面白かったので
そこだけ立ち読みすればいいかも(笑)