青春アドベンチャー
『ゼンダ城の虜~完結編~ヘンツォ伯爵』
10回シリーズの最終回、
無事、自宅で聴取しました。
原作を読んだ時も思ったんですが、
あの結末はすごいよね。
ルドルフがどういう選択をしたのか、
その解釈を読者に委ねる
リドル・ストーリー風の終わらせ方も
なかなか面白いです。
最終回にも、もちろん
黒川さんは登場してました。
お話全体の感想は
また別の機会に譲ることにして、
(覚えていればw)
宿題にしておいた第9回の感想を
以下に書いときます。
ルドルフとルパートの果たし合いのシーン、
微妙に原作と違う展開でした。
原作ではローザが
ある役割を果たすんですが……
今、打ってて気づきましたが、
原作はフリッツの一人称で語られるので、
ローザがその役割を果たさないと
果たし合いの顛末を
描写できないことになってしまうんですが、
ラジオの方は別にナレーターがいるので、
ローザがその役割を果たす必要はない
ということなんですかね。
王宮に戻ったルドルフは
「もう行っちゃいやです。
ルドルフ、行っちゃいや。
二度と行っちゃいや。
ルドルフ、今度は辛抱できません」
(井上勇訳。文庫版547ページ)
とフラビアにかきくどかれて、
フリッツに、女王と話があるから
二人だけにしてほしいと言う。
この時は、黒川さんの定評ある
(Wiki を読んだ限りでは、そう)
泣きの芝居が入りました。
その後の二人がどんな話をしたのか、
原作には書いてありません。
でも、ラジオでは
二人の対話が描かれてました。
で、その時のルドルフの台詞に
「王座は、あなたへの愛だけで
座っていい場所ではありません」
というのがありました(記憶)。
この台詞、どうでしょうか。
フラビアがルドルフへの愛を基準に
物事を考えようとしているのに対して、
ルドルフはあくまでも
個人的な感情を超えた何かを基準に
自分の行動を律しようとしているかのようです。
そういう感じを抱かせる台詞を吐かせたのは、
なかなか原作の精神を踏襲しているという印象ですが、
個人的な感情を超えた何か、とは、
何だろうというのがポイントか、と。
原作では、何かの折にルドルフが、
(『ゼンダ城の虜』の方でだったかと思いますが)
ぼくは泥棒になりたくない、
と言う場面があったかと思うんですが、
要するにルドルフの行動原理って単純に
貴族としての(あるいは男としての)名誉が
守られるか守られないか
だと思うんですよ。
だから、『ヘンツォ伯爵』の最後における
フラビアとの会話で、
今、自分が王座に着けば
自分の名誉を著しく汚すことになる、
と言うんなら、ルドルフらしいなあ
という気がするんです。
でも、先に引用したような、
王座は愛よりも、といわんばかりの台詞だと、
政治的なものに価値がある
という感じがすっごい、するんですよね。
そしてフラビアは、そういう政治的なもの、
パブリックなものを理解しておらず、
しょせん女は女、というニュアンスを
すっごく感じてしまうんですが、うーん。
考えすぎかなあ。
『ゼンダ城の虜~完結編~ヘンツォ伯爵』
10回シリーズの最終回、
無事、自宅で聴取しました。
原作を読んだ時も思ったんですが、
あの結末はすごいよね。
ルドルフがどういう選択をしたのか、
その解釈を読者に委ねる
リドル・ストーリー風の終わらせ方も
なかなか面白いです。
最終回にも、もちろん
黒川さんは登場してました。
お話全体の感想は
また別の機会に譲ることにして、
(覚えていればw)
宿題にしておいた第9回の感想を
以下に書いときます。
ルドルフとルパートの果たし合いのシーン、
微妙に原作と違う展開でした。
原作ではローザが
ある役割を果たすんですが……
今、打ってて気づきましたが、
原作はフリッツの一人称で語られるので、
ローザがその役割を果たさないと
果たし合いの顛末を
描写できないことになってしまうんですが、
ラジオの方は別にナレーターがいるので、
ローザがその役割を果たす必要はない
ということなんですかね。
王宮に戻ったルドルフは
「もう行っちゃいやです。
ルドルフ、行っちゃいや。
二度と行っちゃいや。
ルドルフ、今度は辛抱できません」
(井上勇訳。文庫版547ページ)
とフラビアにかきくどかれて、
フリッツに、女王と話があるから
二人だけにしてほしいと言う。
この時は、黒川さんの定評ある
(Wiki を読んだ限りでは、そう)
泣きの芝居が入りました。
その後の二人がどんな話をしたのか、
原作には書いてありません。
でも、ラジオでは
二人の対話が描かれてました。
で、その時のルドルフの台詞に
「王座は、あなたへの愛だけで
座っていい場所ではありません」
というのがありました(記憶)。
この台詞、どうでしょうか。
フラビアがルドルフへの愛を基準に
物事を考えようとしているのに対して、
ルドルフはあくまでも
個人的な感情を超えた何かを基準に
自分の行動を律しようとしているかのようです。
そういう感じを抱かせる台詞を吐かせたのは、
なかなか原作の精神を踏襲しているという印象ですが、
個人的な感情を超えた何か、とは、
何だろうというのがポイントか、と。
原作では、何かの折にルドルフが、
(『ゼンダ城の虜』の方でだったかと思いますが)
ぼくは泥棒になりたくない、
と言う場面があったかと思うんですが、
要するにルドルフの行動原理って単純に
貴族としての(あるいは男としての)名誉が
守られるか守られないか
だと思うんですよ。
だから、『ヘンツォ伯爵』の最後における
フラビアとの会話で、
今、自分が王座に着けば
自分の名誉を著しく汚すことになる、
と言うんなら、ルドルフらしいなあ
という気がするんです。
でも、先に引用したような、
王座は愛よりも、といわんばかりの台詞だと、
政治的なものに価値がある
という感じがすっごい、するんですよね。
そしてフラビアは、そういう政治的なもの、
パブリックなものを理解しておらず、
しょせん女は女、というニュアンスを
すっごく感じてしまうんですが、うーん。
考えすぎかなあ。