$圏外の日乘-絵画鑑定家
(2008/シドラ房子訳、
 ランダムハウス講談社文庫、2010.1.10)

スイスのミステリ作家
マルティン・ズーターの最新作です。

といっても、スイスの作家? 知らないよ
という人がほとんどかと思いますが、
これまで2作ほど翻訳されてます。
ただし、自分も読むのは今回が初めて(^^ゞ

由緒ある資産家の末裔である
アドリアン・ヴァインフェルトは、
ある夜、バーで、
ロレーナという女性と知り合います。

かつての恋人に似ていたためもあって、
一目惚れしたアドリアンは、
ロレーナを自宅に泊めるのですが、
翌朝、彼女は
もはや生きている甲斐などないと言って、
飛び降り自殺しようとします。

それを止めた瞬間から、アドリアンは
ロレーナの人生に責任を持つことになってしまう。

だからといってすぐに
ロレーナと関係するわけでなく、
基本的にロレーナは自由人なので、
連絡が取れないままの状態が続くのですが、
しばらくして連絡があったのは、
彼女が万引きで捕まりそうになった時でした。

物語はこの後、
ロレーナに翻弄されるアドリアンの話と、
絵画鑑定家として彼の仕事にかかわる
贋作詐欺に巻き込まれていく話とが絡み合いつつ
進んでいくことになります。

名家の末裔であるアドリアンは54歳。
両親が年をとってから生まれた一粒種で、
そのため同年代の友人よりも、
一世代上の、両親の友人の子どもたちか
一世代下の、若き芸術家の友人がいるばかり。

毎週木曜日にはその芸術家たちと昼食会を持ち、
控えめに臨席して、払いはすべて自分持ち。
若い友人たちも金に困ると、
何となくアドリアンに頼ってしまう。
いわばパトロンのようなスタンスですが、
芸術家たちの自尊心を損なわないよう気を遣っている。

毎週土曜に晩餐会を持つ年上の友人たちは、
いわば社会的な成功者ばかり。
アドリアン自身も両親の資産を受け継いでいる他、
広大な屋敷の一階を銀行に貸していて、
その家賃収入が100万スイスフランだという具合。
働かなくても充分生活できるはずなんだけど、
好きな絵画鑑定の仕事に就いている。

もはや、こちとらの感覚からすると
慮外の世界を舞台としているわけですが、
これくらい違うといっそ爽快でもあって、
それこそ、貧しいころの日本人が
外国映画を楽しんだように、
楽しめるというもんです。

作者もあまりに嫌味だと思ったのか、
アドリアンを機械音痴にして、
パソコンのメール機能は使えないし、
ケータイも使えないというキャラにしています。

それはそれで嫌味かもしれないけど(藁

それと、アドリアンの人生観が実に渋い。
こちとらと年齢が近いせいか、
かなり共感できちゃう。

「彼は、規則性が人生を長くすると信奉していたのである。
 (略)同じことをして、同じ場所を訪れて、
 同じ人々に会うことによって差異は小さくなり、
 時間の経つのに気づかなくなる。
 ある人に毎月会えば、一年に一度会うのと違って
 その人は年をとらない。
 そして自分も相手から見て年をとらない。
 規則性は時の流れを遅くする、
 というのが彼の考えだ。
 変化は人生をさまざまな出来事で満たすかもしれない。
 だが、人生を短くすることも確かだ」(p.19)

こういう爺むさい
(て、まあ54歳なら爺ぃなんだろうけどw)
考え方をしていたアドリアンが、
39歳のうらぶれたモデル業の女性
ロレーナに惚れたことから、
それなりに波乱万丈な時間を
過ごすはめになるわけです。

派手な事件が起きるわけではありませんが、
出来の良い、往年のヨーロッパ映画を
観ているような気分にさせてくれます。
それというのも、アドリアンからは
滅びゆく伝統の側にいて、それを遵守している
という貴族的な印象を受けるからなんでしょうね。
絵画鑑定家という職業も、実に渋い。

面白かったのは、ロレーナを屋敷に招く時、
彼女は神戸牛かキャビアが食べたいと言うのですが、
その神戸牛をめぐって、アドリアンと家政婦との
以下のようなやりとり。(pp.203-204)

「神戸ビーフのお値段、百グラムいくらするか、ご存知?」
と家政婦のハウざーさんが得意そうに(藁)言うと、
「かなり高いんだろうね」
「四十三フランよ、たかが牛肉なのに」
「ワギュウだからね。成長するのがすごく遅いらしい」
「食べるときは一緒でしょうに」
「神戸ビーフは毎日マッサージしてもらって、
 ビールを飲んでるっていうから」
「シャンパンをがぶ飲みできるくらいの値段ですからね。
 (略)お母様なら、ビーフのスライスに
 そんな大枚をはたくなんて、
 お許しにならなかったでしょうに」
「母はふつうの人が一生働いても得られないほどの金を
 キャビアに注ぎ込んだじゃないか」
「キャビアはキャビア。牛肉じゃありませんよ」

ちなみに現在のレートだと
1スイスフランは約83円ほどなので、
神戸ビーフ100ℊのお値段は約3580円。
日本で買っても、それくらいしそうですが、
確かに高いですね(苦笑)