前に、唱歌は基本的に無伴奏で、
1932(昭和7)年に
教師用の伴奏譜が作られた、
というふうに書きました。

ただし、それ以前に、
伴奏譜がまったくなかった
というわけでもないようです。

最初の官製唱歌集は
1881~84(明治14~17)年に出た
『小学唱歌集』全3冊で、
これは旋律譜のみでしたが、
その編纂にかかわった
お雇い外国人のL・W・メーソンは、
持参したピアノとオルガンを使って
伴奏し、発表したこともあったようです。

ただ、ピアノやオルガンが
日本に普及するのは
もう少し後の時代になってからで、
小学唱歌用の伴奏譜が発行されたのは
1889(明治32)年になってからだそうです
(編曲はルドルフ・ディットリッヒ)。

ところが、その伴奏譜発行以前に、
メーソンに代わって着任した
フランツ・フォン・エッケルトが依頼されて作曲した
箏(=琴)による伴奏譜が存在していました。

それを復活させた演奏が、
藍川由美が箏楽家の野坂惠子らと組んだ
『明治の唱歌とエッケルトの仕事』です。

$圏外の日乘-明治の唱歌とエッケルトの仕事
(カメラータ・トウキョウ CMCD-28108、2006.6.20)

「あふげば尊し(仰げば尊し)」や
「桜」(♪さくら さくら)の他、
「庭の千草」「埴生の宿」などの
お馴染の翻訳唱歌も収録。

有名な「野薔薇」(♪童[わらべ]は見たり)は
別人の詞になるオリジナルの「花鳥」から収録。

モーツアルト『魔笛』の
パパゲーノのアリアに基づく
「誠は人の道」という曲は、
唱歌の原譜とモーツアルトの原曲と、
二通りのリズムで吹込まれています。

「♪ロウ・ロウ・ロウ・ユア・ボート」という
よく知られたメロディーに基づく「船子」は
四部輪唱で歌われているし。

もちろん、知らない曲や
忘れられた曲の方が多いのですが、
フィッシャーの原曲に基づく「めぐれる車」や
Autumn song に基づく「千草の花」は
今、聴いても実に良いです。

資料性が高いというだけでなく、
演奏も優れており、
箏伴奏にすべきじゃね、
と思われてくること必須です。

それと、思うに、前に紹介した
『故郷を離るる歌』(1998)を録音した時に、
藍川はエッケルトの仕事を知っていたはずで、
チェンバロ伴奏というのは
単に奇を衒ったわけではなく、
そうした研究に基づく次善の策ではなかったか、
と、このCDの登場から想像されるわけです。

ちなみに今回の企画に基づく
藍川由美のコンサートに行ってきて、
生の箏伴奏を聴いたのも、
今となっては良い思い出です。