『阿娘はなぜ』について書いた時にふれた
ファン・ヒューリックのディー判事シリーズは、
唐の時代の中国を舞台に、
実在した、地方の知事(判検事も兼務)を
名探偵役にして書かれた作品です。
作者のロバート・ファン・ヒューリックは
駐日オランダ大使だった人物です。
中国に駐在中に読んだ
中国産の探偵小説を英訳したのが縁で、
その翻訳の原作で主人公だった知事を使って
新たに書いたオリジナルの物語が、
ディー判事シリーズとして
今日、知られているわけです。
つい最近、その第1作の新訳が出ました。

(ハヤカワ・ミステリ、和爾桃子訳、2009.4.15)
原作が刊行されたのは
半世紀以上前の1951〔昭和26〕年で、
日本で翻訳出版されたのが世界初刊行でした。
その時の題名は『迷路の殺人』でしたが、
後に『中国迷宮殺人事件』と改題されて
講談社文庫から刊行されたのが
1981〔昭和56〕年のこと。
その後、1995〔平成7〕年になって、
『中国迷路殺人事件』と改題されて
ちくま文庫から新訳刊行されました。

右の講談社文庫版のカバー絵は作者自筆で、
本文の挿絵から採られたものです。
この挿絵は『沙蘭の迷路』だけでなく、
シリーズ全作品についています。
ハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)では、
2001年からシリーズの翻訳刊行が始まり、
今回の『沙蘭の迷路』で13冊目になります。
2001年からのポケミス版は、
折にふれて読んだり読まなかったり。
『沙蘭の迷路』についても、
旧訳の文庫版は持ってましたが、
作品自体を読むのは
実は、今回が初めてだったりします(^^)ゞ
さすがにデビュー作だけあって、
書き込みが細かいですね。
死刑の様子まで書かれているのには
驚きました。
密室トリックや暗号趣味が盛り込まれている他、
ミステリ的な趣向もよく練られているし、
現代にも通じるような犯罪も出てきます。
中国の小説には詳しくないのですが、
武侠小説と呼ばれるジャンルのノリも
混ざっているかもしれません。
今回読んで面白かったのは、
物語の出だしに明の時代の好事家が出てきて、
ディー判事の一族の末裔と思われる人物から話を聞き、
それをまとめたのがこの話だ、
という体裁をとっているところです。
『半七捕物帳』の設定を連想させもする
この枠物語の趣向、
たぶん、中国の古い小説では
ごく普通のことだったのかもしれませんが、
現代文学である『阿娘はなぜ』とも
通ずるような感じがして、
興味深く思ったことでした。
ファン・ヒューリックのディー判事シリーズは、
唐の時代の中国を舞台に、
実在した、地方の知事(判検事も兼務)を
名探偵役にして書かれた作品です。
作者のロバート・ファン・ヒューリックは
駐日オランダ大使だった人物です。
中国に駐在中に読んだ
中国産の探偵小説を英訳したのが縁で、
その翻訳の原作で主人公だった知事を使って
新たに書いたオリジナルの物語が、
ディー判事シリーズとして
今日、知られているわけです。
つい最近、その第1作の新訳が出ました。

(ハヤカワ・ミステリ、和爾桃子訳、2009.4.15)
原作が刊行されたのは
半世紀以上前の1951〔昭和26〕年で、
日本で翻訳出版されたのが世界初刊行でした。
その時の題名は『迷路の殺人』でしたが、
後に『中国迷宮殺人事件』と改題されて
講談社文庫から刊行されたのが
1981〔昭和56〕年のこと。
その後、1995〔平成7〕年になって、
『中国迷路殺人事件』と改題されて
ちくま文庫から新訳刊行されました。

右の講談社文庫版のカバー絵は作者自筆で、
本文の挿絵から採られたものです。
この挿絵は『沙蘭の迷路』だけでなく、
シリーズ全作品についています。
ハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)では、
2001年からシリーズの翻訳刊行が始まり、
今回の『沙蘭の迷路』で13冊目になります。
2001年からのポケミス版は、
折にふれて読んだり読まなかったり。
『沙蘭の迷路』についても、
旧訳の文庫版は持ってましたが、
作品自体を読むのは
実は、今回が初めてだったりします(^^)ゞ
さすがにデビュー作だけあって、
書き込みが細かいですね。
死刑の様子まで書かれているのには
驚きました。
密室トリックや暗号趣味が盛り込まれている他、
ミステリ的な趣向もよく練られているし、
現代にも通じるような犯罪も出てきます。
中国の小説には詳しくないのですが、
武侠小説と呼ばれるジャンルのノリも
混ざっているかもしれません。
今回読んで面白かったのは、
物語の出だしに明の時代の好事家が出てきて、
ディー判事の一族の末裔と思われる人物から話を聞き、
それをまとめたのがこの話だ、
という体裁をとっているところです。
『半七捕物帳』の設定を連想させもする
この枠物語の趣向、
たぶん、中国の古い小説では
ごく普通のことだったのかもしれませんが、
現代文学である『阿娘はなぜ』とも
通ずるような感じがして、
興味深く思ったことでした。