一月の前半は風邪(肺炎)で全て潰れました。

休んでいる間、半分位はまともに声が出ず・・咽頭炎になっていました。

実際今もちょっと水分補給を怠るとたちまち声が出なくなります。


遺伝的にも習慣的にももしかして肺炎診断された時に撮影された肺のレントゲン写真にガンの疑いあり?などの影があったのだろうか?と主治医のはっきりしな態度にモンモンとしたんですが、多分なにもなく、数日経って撮影した綺麗な肺の画像だとセカンドオピニオンに言われたことがあり、問題なのは咽頭炎のみということに落ち着きそうです。


別に、現世に心残りがあるわけでもなく・・
ハリーポッターがペーパー上でもフィルム上でも完結したし、あるとすればUFJを見るだけ・・だし、思いがけず去年の初秋には私の初めての娘が結婚して男の子がいることがわかったから!
知らぬ間におばあちゃんになっていた訳だけれど。。
それに、次女も3女と一緒に選んだ(めっちゃ私好みの)黒地の振袖で成人式に出たという報告を送ってくれた。

3人の娘、全員すっごく私の趣味好みを不思議と受け継いでいる。
それと、自分がしたくても出来なかったことを不思議と具現化してくれている。


私はといえば、戦後の苦しい時期を特に厳しい実家の意向で思うがままに生きられなかった母から伝え聞いたこと、実現できなかったから苦しかったことなどを母にかわって自由にやりたいことをやってきたのかもしれないという気がする。
母は「家」を作ることが目標の一つだったらしい。
親戚の多数が大工だったのだけれど、雑誌を見てこんな家にしたい!と願う母と親戚の大工との間にはちょっとした隔たりがあったみたいだ。


公務員を辞めて数年経った後に建築について学んで実家へプレゼンテーション出来るように なっていた私に、死期を間もなくだと思った両親は参列者が困らないような自宅の改造を私に依頼したりした。
父が亡くなった後にそのことを母から(父と共に参列者の足元が汚れないように実家庭に砕石を敷くように相談して私に頼んだ)聞かされて。


人間はいつか死んであの世に行く。

その準備をそれぞれしても全く問題ないと思う。


どのタイミングがいいのかもその人それぞれだから。


娘達や、去年存在を知ることになった初孫に対しては私は何か言えることがあるとすれば


「(いろいろ難しいことを忘れて)一緒に遊ぼう!」って言うことくらい。


どっちかといえば文系で、営業で生きてきた私だから数値化よりも感情に直訴えるのが私だ。


でも、実際自分の感情を数値にして相手に伝えるってことをイメージするとめっちゃ痛いおばちゃんになってしまうことが今の自分はわかり過ぎるくらいわかってしまい。

私からあなたへの思いもかなり重たいものに当然なってしまうってことが予想出来るから避けているんだな。