ロック古典主義

ロック古典主義

ジミヘンからプリンスまで
ロックミュージックの黄金時代を
西海岸からのランドスケープで描く
70年代古典ロックの物語をはじめ
卑弥呼の古代ロマンを求めて
古墳探訪の巡礼紀行などを
フレックスにお届けします。

 リハビリエッセイ103号ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)の肖像

 ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet, 1819–1877)は、19世紀フランス写実主義(レアリスム)の中心人物にして、“近代絵画の扉をこじ開けた”画家です。

 ロマン主義の劇的な情念でもなく、古典主義の理想美でもない。
 「現実に存在するものだけを描く」という、当時としては革命的な姿勢によって美術界を揺さぶりました。

波|ギュスターヴ・クールベ |所蔵作品検索|国立西洋美術館

 当時のサロンは、歴史画や神話画、宗教画などを最上位に置いていました。しかしクールベはこう言います。
 「天使も女神も見たことがない。だから描かない。」

【美術解説】ギュスターヴ・クールベ「現実に見たものだけを描く写実主義」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース 

 代わりに彼が描いたのは、農民、労働者、故郷オルナンの渓谷、友人や家族、市井の人々の葬儀、静かな海と岩のある海岸。つまり「今、自分の前にある世界」だけ。それが当時の美術界には挑発のように映ったのです。

 隣室の印象派・ロマン派の柔らかい光から、クールベの部屋へと一歩踏み入れた瞬間、照度が明らかに落ちる。それと同時に、空気の温度が一度だけ下がるような感覚がある。
ありのままを描いた巨匠クールベ 「波」の作品を集中して紹介! | M&C
 入口の床面は他の部屋と同じタイルだが、照明が落とされている

ため、やや墨色の影が流れて見える。足音が少しだけ反響しやすく
部屋全体が平坦な箱ではなく、“重みを含む空洞”のように感じる。
 壁は、ほんのわずかに青味を帯びた深めのグレー基調。白壁ではクールベの褐色が浮きすぎるため、この部屋ではあえて光を吸うという壁色が採用されている。
クールベと海展 -フランス近代 自然へのまなざし | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]
 この色彩が、クールベ特有の湿った森。荒れた海。静かな室内。土気を含む肌を、驚くほど自然に浮かび上がらせる。室壁の表面はわずかにざらついており、スポットライトの反射が散り、光の輪郭が柔らかく溶ける。“滲む光”が、クールベ作品の厚みと響き合っている。クールベの描く海がテーマの展覧会がパナソニック汐留美術館で開催。モネやブーダンらの同時代作品も|画像ギャラリー 1 / 7|美術手帖
 床タイルは灰色味のあるベージュで、大理石風の細い筋が斜めに走っている。この筋が、まるで静かな波紋のように観客の足元への奥行きを生む。
 クールベ室では絵の前が比較的広く取られているため、床の広い空間が絵画の“手前の空気”として機能し、作品と鑑賞者の間に、「風景が自分の方へ迫ってくる距離」を生んでいる。やたら迫ってくるので、うっかり“避けようとして一歩下がる鑑賞者”まで作品の一部になりそうだ。

 気づけばその風に乗って体までふわりと前へ浮き上がり、まるでクールベが『はい、そこのあなた、主役に抜てき!』と舞台へ押し出してくるようで、思わず笑ってしまう。」

 ロック自叙伝 その274 Led Zeppelin in Madison Square Garden, New York, September 19th, 1970 ...

 「この曲なんかはツェッペリンそっくり。」アンジーが続ける。 

 「特にギターのリフなんかは。ブルース臭の強いツェッペリンに比べれば、全体的にこちらがずっとロック。」

 そして「ベックのギター・テクニックがこの一曲の中に集約されている」と宣うが、まさにその通りだと思う。 

 ”Rice Pudding”は、エンディングに向けてスリリングに展開していく。10分という時間があっという間に過ぎてしまう。 
ジェフ・ベック ベック・オラ 国内盤 LP レコードの通販 by 山猫軒|ラクマ

 ファンキーなジェフベックには、ちょっとドギマギしていたのだが、「ベックオラ」は俺のツボに嵌まった。 

 ツェッペリンやクリームの音楽より、ずうっと先駆的だったのは間違いないのに、ジェフベックが同時代の多くのギタリストのような成功を達成できなかったのも不思議ではない。 

 ジェフベックが実際にジャムをしているのは、限られた時間内にのみ流れる当たり障りない反復的なバックグラウンドミュージックではないのだから。 BECK01 by Jeff Beck - Hot Rods & Rock'n'Roll | Jeff beck, Beck, The ...

 そして今、指が動かないほど再起不能といわれたクラッシュの後それまでの金字塔を投げ捨てて、俺たちの眼前に姿を現したジェフベックは、別人のように軽やかなスタイルに変化している。 

 こんなにスタイルを変化させられたら当然たじろいでしまうのだが、この裏切りさえも喜んで受け入れてしまった。

Jeff Beck & Bob Tench | Jeff beck group, Jeff beck, Beck

 なぜなら、ジェフ・ベックの“裏切り”は、俺たちの想像力より先に着地して、しかもその場所が必ず“正解”だからだ。
 まるで、「お前ら、まだそこにいるの? ちょっと来てみろよ」
と、軽く手招きされているような気分になる。
 そして実際に近づいてみると、そこにはいつも、“ジェフ・ベックにしか見えていなかった景色”  が広がっている。

 俺たちはただ、その景色を見せてもらえるだけで幸せなのだ。
 だから結局のところ—ジェフ・ベックがどんな方向へ走り出そうと、俺たちは文句を言うどころか、「すみません、次の角もついて行っていいですか」と 勝手に後ろをついていくファンなのだ。 

 八幡社南古墳群2(滋賀県東近江市)2024年7月25日 

 樹間の一本道を緩やかに登っていくと、右手手前に1号墳が見えてきました。 

滋賀県東近江市中羽田町 八幡社南古墳群1号墳 | 古墳探訪記

 一目見た印象としては、比較的規模の大きな横穴式石室が静かに横たわっている印象を受けます。崩れかけた天井石や石材の重厚感が、古代の人々の手による精緻な石組みの技術を今に伝えており、時を超えて古墳時代の空気を感じさせます。滋賀県東近江市中羽田町 八幡社南古墳群1号墳 | 古墳探訪記

 外観は落ち着いた佇まいながらも、内部に秘められた葬送儀礼の痕跡や歴史の重みが、静かに迫ってくるようです。 

 八幡社南古墳群の1号墳は、比較的大規模な横穴式石室を持つ古墳です。玄室の長さは約4m、幅約1.5m、高さ約2mのとされ、石室内部には天井石が崩れ落ちている様子が確認されています。石室の内部は、当時の葬送儀礼や埋葬方法を知る上で貴重な資料となっています。   

 1号墳の上手に2号墳があり、一目見た印象、1号墳の堂々とした印象に比べてやや控えめで落ち着いた雰囲気ながらも、静かに古代の息遣いを感じさせる古墳です。 

 2号墳は1号墳よりやや小規模な横穴式石室を持つ古墳です。玄室の大きさは長さ約3m、幅約1.2m、高さ約1.8mとされて、石材の組み方や石室の構造には、1号墳とも共通する古墳時代中期の特徴が見られます。 Dolmen dit la Pierre au Loup à Seiches-sur-le-Loir - PA00109356 ...

 石室内部の保存状態は比較的に良好で、天井石の崩落は少なく、埋葬方法や葬送儀礼を考察する上で貴重な資料となってます。 

 一目見た印象としては、1号墳の堂々とした印象に比べてて、やや控えめで落ち着いた雰囲気ながらも、静かに古代の息づかいを感じさせる古墳です。 

 八幡社南古墳群の中でも、1号墳と2号墳は並んで存在する代表的な古墳であり、それぞれの規模や構造には相互に共通点と差異とが認められます。 

 1号墳は、玄室の長さ約4m、幅約1.5m、高さ約2mという比較的大規模な横穴式石室を持ちます。天井石の崩落が見られるものの、石室の規模からは当時の被葬者の社会的地位の高さをうかがうことができます。 

  新緑パワー全開の「雪野山歴史公園」で情報量の多さに戸惑う5秒前! 【蒲生】|おーみらい~東近江市・近江八幡市に特化した地域情報をお届け

 これに対し、2号墳は1号墳よりやや小規模で、玄室は長さ約3m幅約1.2m、高さ約1.8mとされています。石室の保存状態は比較的良好であり、崩落が少ないことから内部構造の観察が容易で、葬送儀礼の具体的な実態を探る上で貴重な資料となっています。 

 それにしてもこの二つの古墳、まるで「立派な兄」と「しっかり者の弟」が並んで座っているようで、どちらも黙して語らぬくせにこちらが覗き込むと妙に誇らしげに見えるのがなんとも可笑しい。
 ついでに言えば、どちらも“自
分のほうが古墳らしい”と心の中で張り合っている気配すらあって、思わず「はいはい、どっちも立派ですよ」と声をかけたくなります。

 京阪奈国宝まつり158 2025年6月13日石川県立美術館 静かに美術品と向き合う特別な空間 - 金沢のグルメと観光、ときどき大家さん。
 『色絵雉香炉』の芸術的価値は、技術と表現の融合、さらには、その象徴性にあります。この作品は17世紀に作られたもので、雉の緻密な姿をほぼ実物大で陶器に表現した、当時最高技術が凝縮されています。

  首がわずかに傾き、左右非対称に仕上げられている点は「不完全の美」を体現しています。この意図的なデザインは、作品に深みと緊張感をもたらし、多くの鑑賞者を魅了します。ドイツ出身の茶人が、千利休ゆかりの堺へ! 民衆が育んだ茶の湯文化を体験 - しっとんか大阪
  この香炉には、茶の湯文化や武家の文化的影響を色濃く反映しています。香炉としての実用性だけでなく、書院飾りや茶席の象徴的な飾りとしても使われました。今日の散歩 - トシのウォーキング&晴耕雨読
  雉というモチーフは、古来より忠勤や生命力の象徴とされており  この作品は単に美術品としての魅力だけでなく、精神的・文化的

メッセージを発しています。

『金沢13 石川県立美術館 《 色絵雉香炉 》-国宝‐ ☆カフェー喫茶/休憩』金沢(石川県)の旅行記・ブログ by マキタン2さん【フォートラベル】

 『色絵雉香炉』の技術的な特徴には、その緻密さと芸術性の高さにあります。この雉香炉は、雉の体を精巧に象った陶器で、以下のような技法が用いられています。古伊万里 色絵 捻り文 膾皿 | (有)新原美術
 まず「色絵」と呼ばれる手法で、素焼き後に彩色し、さらに低温で焼成して色を定着させています。これにより、羽毛の繊細な質感や輝きを再現しています。Yahoo!オークション - 竜F641 九谷焼 陶香作 野々村仁清写 色絵 雉香炉...
  体の部分(首、胴、尾など)を個別に制作して、それぞれを接着しています。これにより特に細く長い首や尾の強度と美しさを両立しています。
 首がわずかに傾き左右非対称なデザインになっている点が特徴。この「不完全性」は意図的に設計され、作品に独特の奥行きを加えています。
 これらの技術は、当時の陶工として最高峰のスキルをば駆使して作られたもので、文化的にも技術的にも重要な位置づけがなされています。

Gốm sứ Long Loan - Nâng tầm văn hóa Việt

 色絵技術の発展は、日本だけでなく世界各地の陶芸文化に影響を受けつつも進化してきましたね。最初に遡ると、この技法は中国の明時代から清時代にかけて発展したものが、日本に伝わったとされています。その後、日本では特に有田焼や京焼において独自の表現が進化しました。景徳鎮の工房から伝統技法と匠による技をお伝えします | 桃花源(中国茶・茶器・インテリア雑貨)的ブログ
  色絵技術は、中国の景徳鎮での技法を起点に、15〜16世紀頃に日本に伝来しました。この時、白地の磁器に色彩豊かな上絵を施す技法が基礎となりました。Yahoo!オークション - 【小】4004 江戸期 柿右衛門 色絵柿右衛門様式花...
 日本では、特に九州地方を中心に窯業が発展。有田焼では「赤絵」や「染錦」といった技法が生まれ、江戸時代中期に「柿右衛門様式」としてヨーロッパに輸出され、高い評価を受けました。
  戦後、日本の陶芸家たちは伝統的な色絵技術を基礎に新たな表現を模索して、金銀彩の加飾やプラチナ彩など、現代的な技術を融合させた独自の作品が生み出されています。

 この長い歴史を通じて色絵技術は、他文化との交流や需要の変化を吸収しながら、伝統と革新を併せ持つものへ成長してきました。この進化の過程には、日本独特の美的感覚や職人の挑戦心が大きく影響しているのが興味深いところです。

 リハビリエッセイ102号

 絵から離れても、まだ続いている。

ルノワール絵画を鑑賞してから、激しく渦巻く鳴門海峡に架かる橋に向かう【大塚国際美術館旅7】 | 笑顔を伝える旅ブログ

 そこを離れても、目の奥に残るのは「色」ではなく、「空気」。

外の光、鳴門の海、流れる雲さえも、どこか灰色がかって見える。
 けれどそれは、曇りではない。静けさを知ったあとの世界の色。
 それが、大塚国際美術館でコローを辿った者だけが持ち帰ることのできる、目に見えない記念品なのです。

『大塚国際美術館⑫ B1F ロココ美術、新古典主義など(アングル、ドラクロワ他)』鳴門(徳島県)の旅行記・ブログ by +mo2さん【フォートラベル】

 大塚国際美術館ではこれがほぼ実物大で、壁に静かにかかっています。作品の横には、簡素な解説。しかしあなたはそれをほとんど読もうとしないでしょう。読むよりも先に、「感じてしまう」から。
01C ジャン フランソワ ミレー 落穂拾い 陶板 大塚国際美術館/落ち穂拾い(その他)|売買されたオークション情報、yahooの商品情報を ...
 コローのすぐ近くにはジャン=フランソワ・ミレーの作品が配置されています。ミレーが「労働と大地の重さ」を描くのに対し、
コローは「沈黙と記憶」を描く。
ミレーが愛したバルビゾン村 | Design Stories
 同じバルビゾン派なのに、ミレーは「生きる手」コローは「思い出の気配」同じ森を見ているのにまったく違う世界を語るのです。
この対比が、空間そのものに意味を与えています。


 ゆっくりと絵の前のベンチに腰をおろす。大塚国際美術館のいいところは、こういう場所には必ず腰を下ろせる静かな椅子が置かれていることです。ART & ARTISTS: Camille Corot – part 9
 座る。視線を上げる。再び、湖と森と霧を見る。不思議なことにさっきとはやや違って見える。木々が少し近く感じる。水の冷たさが想像できる。人物のしぐさが気になってくる。

 コローの絵は、時間とともに開いていく絵なのです。5分では足りない。10分でも足りない。ただ、ぼうっとしている自分に気づく。すると、まるで絵のほうが『はいはい、そのまま力を抜いて。今日は私が仕事するから』とでも言っているようで、気づけば私は、鑑賞者というより“風景に拾われた通行人”のような顔で立ち尽くしている。 

 気づくと、絵の中の湖面より先に、こちらの意識が先に波ひとつ立てずに寝そべってしまう。しまいには、コローが『まあまあ、そんなに急がなくていいよ』と肩をぽんと叩いてくれたような気がして、思わず“鑑賞”というより“昼寝の言い訳”を探し始めている自分に苦笑する。
 そして思うのです。「ああ、この人は“風景”ではなく、“記憶そのもの”を描いたのだ」と。