ロック古典主義

ロック古典主義

ジミヘンからプリンスまで
ロックミュージックの黄金時代を
西海岸からのランドスケープで描く
70年代古典ロックの物語をはじめ
卑弥呼の古代ロマンを求めて
古墳探訪の巡礼紀行などを
フレックスにお届けします。

 ロック自叙伝その293

 文化祭の翌朝、校舎の空気はどこかいつもと違っていた。 

 ざわざわとした期待と、昨夜の余韻が混じり合って、廊下の空気が少し甘い。 俺はギターケースを持っていない自分の手が、妙に軽く感じられた。 

 階段を上がると、すでに3人が教室前の廊下に集まっていた。 

 「おはよー!」 

 ミチルはいつも通りの声で手を振った。 だが、俺が近づくと、彼女の耳がほんのり赤くなっているのがわかった。 

 「昨日の……あれ、すごかったね」 「お前のピアノもな」 「まあね。私、天才だから」 

 口では強気なのに、目が合うとすぐ逸らす。 その仕草が、昨日のステージよりもずっと可愛らしく見えた。 

  

 「お、おう……昨日の、さ……」 

 シンジはいつもの不良っぽい態度を保とうとしていたが、 俺の顔を見ると、急に視線を床に落とした。   

 「……ベース、まあまあ良かっただろ?」 

 「まあまあじゃなくて、めちゃくちゃ良かったよ」 

 そう言うと、シンジは耳の後ろをかきながら、 「だよな」と小声でつぶやいた。 その声が、妙に嬉しそうだった。 

 

 ヨウコはスティックをくるくる回しながら、 俺に向かって小さく会釈した。 

「……昨日、楽しかったね」その一言に、彼女のすべてが詰まっていた。 控えめだけど、確かな喜び。 彼女の目は、昨日のステージの光をまだ宿していた。 

 4人が揃った瞬間、廊下の空気がざわっと動いた。 

 「昨日のバンド、あれお前らだったんか!」 「ギターの最後のやつ、鳥肌立ったぞ!」 「ミチル、あんな声出るんだな!」 「ヨウコのドラム、マジでかっこよかった!」 「シンジ、あれ本当にお前が歌ってたん?」 

 次々に声が飛んでくる。 まるで4人の周りに小さな渦ができたようだった。 

 ミチルは「やめてよ〜」と言いながら満更でもなく、 シンジは「まあな」と言いつつ顔が真っ赤。 ヨウコは照れ笑いを浮かべ、 俺はどう返していいかわからず、ただ笑うしかなかった。 

 そのとき、誰かが言った。 

 「Bマイナーって名前、めっちゃ良くない?」 

 その一言で、4人は思わず顔を見合わせた。 昨日のステージの余韻が、また胸の奥でふわりと膨らんだ。 

 クラスメートの波が引いたあと、 4人は自然と輪になって立っていた。 

 「…なんか、すごいことになってるね」 ヨウコがぽつりと言う。 

 「うん。でも、悪くない」 ミチルが笑う。 

 「次、何やる?」 シンジが言う。 

 俺は、胸の奥に昨日の夜の“自分の声”を思い出しながら答えた。 

 「……新しい曲、作ろう」 

 その言葉に、3人が同時にうなずいた。 

 嬉しさと恥ずかしさと、 未来への小さな期待が混ざり合った、 そんな朝だった。 

 京阪奈国宝まつり179 2025年6月13日

 「いにしえ文化きらきらし」セクションも後半ともなると、古代から中世へと移り、南北朝時代の装束が続きます。

着物 黄土色 華紋 唐草 アラベスク vintage kimono A-0345 - メルカリ

 この衣装を一目見たときの印象は、その繊細な織りの技術と優雅なデザインが際立っているところにあります。特に、萌黄色の基調の上に浮かび上がる紫や白の色糸による文様は、熱視線を引き付ける美しさがあります。

 一見するとシンプルなデザインの中に緻密な職人技が隠れておりその深みが鑑賞者に感銘を与えます。【楽天市場】袋帯 秀品 夏帯 絽 浮線綾文 金銀糸 クリーム 六通 正絹 【中古】:バイセル 楽天市場店
 また、萌黄色が時間の経過とともに変化している部分も、歴史の重みを感じさせます。色褪せた部分と元の鮮やかさのコントラストが、この衣装の持つ物語を物語っているように見えますよね。

熊野三山 熊野速玉大社へのアクセスや見どころ

 「衵(あこめ) 萌黄小葵浮線綾丸文二重織(もえぎこあおいふせんりょうまるもんふたえおり)」は、南北朝時代の明徳元年(1390年)に、和歌山熊野速玉大社へ奉納された女性用の衣装で、文化的な深みと技術の高さが際立つ国宝の一つです。伊勢型紙,小葵文(こあおいもん),菱形(菱文)

 この衣装は、萌黄色を基調に小葵文が浮き立つよう織られており上品さと華やかさを兼ね備えています。二重織(リバーシブル)の技術が用いられており、織り込まれた紫や白の色糸が複雑な文様を浮かび上がらせています。この織物技術は、当時の最高峰の技術と美的感覚を象徴しており、衣の格式の高さを物語ります。
 
北条政子も愛したと伝わる国宝が修理後初公開!「神の宝の玉手箱」展で“箱”が放つ聖性と魔力に酔いしれてみませんか?|Pen Online

 また、この衣装は上着と肌着の間に着用するものです。神聖さと優雅さを併せ持つデザインとして、奉納された背景には祈りや信仰が込められていると考えられます。このような衣装は神々との深いつながりと、日本の伝統文化の美しさを見事に表現しています。


 「衵(あこめ) 萌黄小葵浮線綾丸文二重織」って、名前からして

すでに強そうですが、実はとても愛らしい意味が詰まった衣装。

 まず目を引く小葵文は、生命力と繁栄のシンボル。いわば“和風

パワースポット柄”。そこに萌黄色が合わさりますと、若葉のようなフレッシュ感まで漂ってきて、着ているだけで心の中に春が来る。 

 さらに、紫・白・茶の糸がふわっと浮き出るデザインは、当時の「美しくあれ、しかしやりすぎるな」という絶妙な美意識の結晶。  

 まるで色たちが「ここは私に任せて」と言いながら、静かに調和しているようです。
 熊野速玉大社に奉納された背景を思うと、この衣装は女性の神々への“特製ギフト”。色彩も文様も、それぞれが意味を持ちながら、全体で神聖なオーラを放っています。
 眺めれば眺めるほど、「あぁ、これはただの衣装じゃない…!」としみじみ感じてしまう、そんな奥深さがあるんですよね。

 三井寺3(大津市)2024年7月25日  画像

 次は堂外の鐘楼へ向かってみましょうか。三井の晩鐘が、どんな風に空気を震わせるのか気になりますね。 画像

 金堂の南東には、三井の晩鐘──「日本三名鐘」のひとつ。鐘楼は六本柱の切妻造、檜皮葺。その梵鐘は、慶長七年に道澄によって鋳造されたもので、夕景に響くその音色は「残したい日本の音風景百選」にも選ばれている。今はまだ夏朝の静けさの中、鐘は黙しているが、その存在感は圧倒的。 画像

 さらに奥へ進むと、鮮やかな朱塗りの唐院が姿を現す。智証大師円珍を祀るこの唐風建築は、緑の中にひときわ映え、密教の聖域としての気配を漂わせている。潅頂堂、大師堂、三重塔が並び、空間全体がまるで異国の風を孕んでいるよう。 

智証大師円珍の生涯について | 智証大師円珍 関係文書典籍

 智証大師円珍(814~891)は、平安時代を代表する高僧であり天台宗寺門派の祖として知られています。讃岐国に生まれた円珍は幼いころから仏道を志し、比叡山に登って修行を重ねました。 

入唐八家 | 仏寺めぐり大阪 

 その後、遣唐使に随行して唐へ渡り、長安や五台山をはじめ多くの聖地を巡りました。そこで彼は、密教や天台教学、禅、戒律など幅広い学問と修法を学び、多数の経典仏具を日本に持ち帰ります。これによって日本の仏教は大きく刺激を受け、円珍は「入唐八家」のひとりとして高く評価されまれておますな。 三井寺唐院 唐門・大師堂 | ニッポン旅マガジン

 帰国した円珍は、比叡山延暦寺で教えを広めつつ、近江国園城寺すなわち三井寺を再興しました。これが後に寺門派の中心となり、円仁(慈覚大師)の系統である山門派と並び立つ大きな宗派を形成します。こうした二大潮流は中世を通じ日本仏教の展開に深く影響を与えました。 「世界の記憶」円珍文書が語るもの 密教伝授支えた民間交流…中国商船で入唐 商人から詩も : 読売新聞

 円珍の学問は、戒律・密教・天台・禅を統合する特色をば持ち、後世「円珍教学」と呼ばれます。信仰の教理にとどまらず、唐から持ち帰った仏具や経典は、日本国の密教儀礼や美術工芸の発展にも寄与しておます。 ありが唐ございました。木造智証大師坐像 文化遺産オンライン

 晩年の円珍は多くの弟子を育て、天台宗の発展に尽力しました。891年、比叡山の大乗院で78歳の波乱の生涯を閉じます。その後、朝廷より「智証大師」の諡号を贈られ、今日に至るまで深く敬われておますなあ。 比叡山延暦寺:日本仏教の礎。天台宗の歴史と密教の文化拠点│滋賀 | ツーリングJP

 三井寺の境内には、今も円珍を祀る「唐院」があり、その朱塗りの鮮やかな堂宇は中興の祖を慕う信仰の象徴となっています。彼の学びと精神は、千年以上を経た現在も息づき、三井寺の伽藍や法灯を通じて伝えられています。 

 そして、最後に訪れるのは、御井の井戸──三井寺の名の由来となった霊泉。石囲いの中に湧く清水は、今も静かに湧き続け、寺の根源を語りかけてくる。井戸のそばに立つと、地の底から響くような静けさが、心の奥に染み渡る。 

 こうして、三井寺の周回は終わる。古代の丘から現代の街を抜けそうして千年の祈りが息づく寺へ──その一歩一歩が、旅人の心に静かな余韻を残してくれるのです。 

 御井の井戸の静けさを背に歩き出すと、ふと足どりが軽くなる。
まるで千年の祈りが「ほな、またおいでや」と背中をそっと押してくれたような、そんな不思議な温もりが残るのです。


 そして旅人は思うのです──
 「三井寺、ええとこやん。次もおにぎり持って来よ」
 そうしてまた、静けさとユーモアのあいだを揺られながら、人は今日も「
小さな旅」を続けていくのでした。日曜日午前8時。

 大塚美術館90

 ドガの壁面に近づいたとたん、視線が自然と整列して、感情ではなく構造へと導かれていく。
ドガの14歳の小さな踊り子はパリ・オペラ座バレエのバレリーナだった|yossyballet
 最初に目に入ったのは《バレエの授業》一見、穏やかな稽古風景だが、すぐに「これは舞台ではない」と気づく。踊り子たちは散らばり、誰もこちらを見ていない。エドガー・ドガ「バレエの授業」(1874年)左前景の踊り子たちのディテール——オルセー美術館所蔵

 脚を伸ばし、止まり、緩み、待っている。 動きの「途中」が、まるで空間の設計図のように配置されている。陶板の明瞭な再現力が、床の板目、壁の線、脚の角度までも克明に浮かび上がらせ、 ドガの冷静な構築性を容赦なく可視化する。エドガー・ドガ「バレエの授業」稽古場全体のディテール

 ミレーが「人が大地にどう立つか」を描いたなら、ドガは「人が室内でどう配置されるか」を描いたのだと、納得させられる。
舞台の踊り子/ドガ
 続く《エトワール》では、主役の踊り子が舞台中央で光を浴びている。だが、陶板のくっきりとした再現によって、背景の暗がりに潜む男性たちの視線や姿勢が妙に際立って見える。彼らの存在が、舞台の華やかさに影を落とし、見る者に「誰が誰を見ているのか」という問いを突きつけてくる。Edgar Degas Paintings, Prints, Posters | Degas paintings, Edgar degas ...

 ここでの舞台は、もはや芸術の場ではない。社会の縮図であり、視線の交錯する場所だ。 ゴッホの舞台が感情の爆発なら、ドガの舞台は構造と関係性の劇場だ。
Bathing Woman, Edgar Degas Paintings, Drawings, Vintage Art Prints ...
 《浴女》の前では、鑑賞者の足が自然と止まって、しかし長くは留まらない。視線の置き場に困るのだ。女性は振り向かず、ポーズは中途半端で、身体は美化されていない。陶板の精緻な再現が筋肉の張りや皮膚のたるみをあらわにして、これは「裸婦」ではなく「身体の作業風景」なのだと突きつけてくる。

 ミレーの労働が公的で共有されるものなら、ドガの労働は私的で、覗かれるもの。その違いが、静かに、しかし確かに胸に迫ってくるもんですなぁ。

 美術館でドガの絵と向き合うときは、焦って人物を追うのは少しもったいない。まずは床や壁、そして空間そのものに目を慣らしてみよう。静けさの中に、絵が呼吸しているのがわかるはずだ。
 次に、人物の「途中の動き」に注目してみる。ポーズではなく、動きの“途中”——その一瞬に、ドガの観察の鋭さが潜んでいる。

 まるで時間が止まる直前の空気を、彼は筆で掴んでいるようだ。
 そして最後に、「誰が見ていて、誰が見られているのか」を意識する。その視線の交差点に立ったとき、絵は静かに、しかし冷たいほど雄弁に語り出す。
 ドガの問いは、絵の中ではなく、私たちの視線の中にあるのだ。

 大塚国際美術館で出会うドガは、情緒を与えてくれるタイプではないね。
 慰め? そんなものは最初から期待しないほうがいい。
 むしろ彼は、静かにこちらを見つめながら、突然“人生の抜き打ちテスト”を始めてくる。
――「さて、人は身体をどう使って生きているんだろうね?」


 いやいやドガさん、こっちはミレーの沈黙で心を整え、ゴッホの叫びで精神を揺さぶられ、すでに“心の体力ゲージ”が赤色なんで。
 そんな状態の私に、ドガはまるで美術館専属“哲学コーチ”のように近づいてくる。しかも優しく励ますタイプではなく、
 「さあ、逃げずに考えてみようか」と言いながら、こちらの視線の揺れをじっと観察してくるタイプ。


 美術館の静けさの中で、私はその問いに向き合うしかなかった。
 逃げようにも、静かな館内では足音で即バレするし、そもそも

ドガの絵の前を離れた瞬間、 背中に「まだ答え出てないよね?」という視線を感じそうで怖い。

 結局、答えは見つからないまま。
 ただ、絵の中の人物がほんの少しだけドヤ顔に見えたのは、
 きっと私の気のせい……だと思いたい。

 ロック自叙伝その292

 ミチルが笑いながら言った。 

 「……やっちゃったね、私たち」 

 ヨウコがスティックを握りしめ、 シンジが汗だくで笑っている。 

 俺は、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。 

――これが、俺の声だ。 

 幕が完全に下りたとき、 4人は顔を見合わせ 静かに、でも確かにうなずき合った。 

 「Bマイナー」は、この瞬間、本物のバンドになった。 

 文化祭が終わった夜、俺は家に帰っても落ち着かなかった。 

 夕飯の味がしない。 風呂の湯気の中でも、耳の奥にはまだギターの残響が鳴っていた。 

 家族が寝静まった頃、俺はそっとギターを抱えて縁側に出た。

阿波の夜は、夏の終わりの匂いがしていた。 虫の声が遠くで響き、風が山の方からゆっくりと降りてくる。 

 月明かりだけが、ギターのボディを淡く照らしていた。 

 俺は深く息を吸い込んだ。 そして、何も考えずに弦を鳴らした。 

 最初の一音は、かすかに震えていた。でも、その震えは恐れではなく、何かが生まれる前の鼓動のようだ。 

 俺は“始まりの歌”のイントロを弾き始めた。 文化祭で弾いたときよりも、ずっと静かで、ずっと深い音だった。  体育館の歓声も、アンプのうなりもない。 ただ、夜風とギターだけがそこにあった。 

 

 ふと、俺は気づいた。 

――これは、俺の音だ。 

 誰かの真似ではない。 アメリカで見た誰かの影でもない。 野球部の仲間が期待した姿でもない。 

 ギターの音が、まるで自分の心臓の鼓動のように感じられた。 

その瞬間、胸の奥にずっとあったスモッグが、すうっと晴れていくのがわかった。 

 俺は目を閉じ、指を滑らせた。 音が夜空に溶けていく。 風がその音を運んでいく。その音は誰に聴かせるためでもなかった。 ただ、自分自身と三毛に向けた音だった。 

 

 そして、はっきりと理解した。 

――俺は、これで生きていく。 

 その言葉は声にならなかった。 でも、確かに胸の奥で響いた。 

 ギターの最後の一音が消えたとき、 夜空には宵の明星がひとつ、静かに瞬いていた。 

 俺はギターを抱えたまま、しばらく動けなかった。 ただ、夜風の中で、自分の声が確かに生まれたことを感じた。