
金曜日の夜、
雷雨に打たれ、

視界不良で自動車の側面を削り、

半ばキレそうになりながらも、

友達に会いに行った。
ENDo-との付き合いは中学からで、高校も同じだった。
美大大学院に進んだのENDo-家には、テレビはなく、パソコンもなく、
画材をひっくり返した様な部屋だった。
4時間くらいぶっ通しで話しをした。
•抽象と具象のスパイラルについて。
•現代美術のあり方について。
•音楽について。
など…
ギターもピアノも弾けるENDo-の姿に、ものすごいかっこよさを感じつつも…
ここでは、ENDo-と話した内容の一部分
現代美術のあり方について触れようと思う。
最近のアートはとにかく、
『コンセプト重視』
なものが多い。
その作品は、
いつ生まれて、
何にインスパイアされて、
何を伝えたくて、
誰に伝えたくて…
『作者の説明文』と『もの』
の二つで一つの作品を成している。
文章で説明してあげれば、
誰でもその作品を理解できるから、
作品にコンセプトがプラスされることで、社会的な価値が増していることは間違いない。
わかり易い方が鑑賞してても楽しいしね。

でも、こんな側面もある。
例えば、制作時間が確保できず、石を三つ並べただけのものにでも、人々を納得させるコンセプトがプラスされれば、価値ある作品になってしまう。

最終的に、
僕とENDo-は『コンセプト無しの作品』の方が好きだ

作品単体に作者の人生が内包されているもの。
作者の毒素の塊。

その作品を見たときに、
観覧者の思考回路を超えた、彼方にある意識に訴えかける禍々しい引力をもつ作品。
言葉にはならないが、今でも見ていたいと思わせる作品にこそ本物の価値がある。
あのなんとも言えない気持ちワルさに価値を感じたいみたいな。
という意見で大体一致した。
あなたはどっちが好きですか?
【コンセプト+もの で一つの作品】とし、勝負しているもの。
と
【作品単体】で勝負しているもの。
おれはこう思う!
私はこう思う!
完全に主観で構いません、純度100%あなたの意見を良かったらシェアしてください



