応援という幻想を棄て、真実を見よ

 

私たち被害者がどれほど赤裸々に証言を重ねても、「銀ちゃんかわいそう」「何があっても応援し続けます」と言う人々がいる。その声は一見すると優しさや慈悲に見える。しかし、実のところそれは、真実から目を逸らし、自ら信じたい幻想に縋りついているに過ぎない。

人は、信じたい物語にしがみつくときほど愚かになる。そこにあるのは理性ではなく、感情という名の逃避である。

 


驚くべき嘘を断言する男

タイで開催されたワークショップ。彼はただ夫婦で参加しただけで、言葉も通じず、参加者の輪から孤立していた。目撃されたのは、現地で記念撮影ばかりを繰り返す姿。しかし日本に戻ると、彼はこう吹聴したのだ。

「タイに呼ばれて村づくりを教えてきた。セレブに感謝された」

海外の情報機関やサイトを調べても、彼の名前もイベントも村の存在も、預言者もセレブも影も形もなかった。だが彼は断言する。人々が驚くほど大きな嘘を、真実のように言い切る。その厚顔無恥さに、素直で善良な人々は圧倒され、信じてしまう。これこそ「作話断言型詐欺師」の常套手段だ。

 


他人の家を「自分の作品」と言い張る

「絵本の村」と称して紹介されるオシャレな家がある。実際には、施主が海外から輸入した部材を揃え、心血を注いで建てた邸宅だった。山納がしたのは、外壁の一部をアルバイトとして塗っただけ。それも「素人でも問題ない部分」だけだった。

だが彼は平然と「自分の建てた家」と断言する。ファンは夢を見せられ、信じ込む。違法な家づくりを美談にすり替え、無知で優しい人々を「エコビレッジビルダー」という架空の肩書きで誘い込むのだ。

 


宮崎での事件と裁判

宮崎では、施主家族を数か月かけてその気にさせ、移住させ、一千数百万円を現金で分割して受け取った。だが半年ほどで土地取引不能が発覚し、計画は頓挫。すでに建築も開拓も進んでおり、施主家族は袋小路に追い込まれた。

そのさなか、山納は不倫や浮気、性的搾取に近い行為を繰り返し、ついには女性が飲酒運転で自殺未遂を起こす事態に至った。その際も、免停中の山納は被害者の夫に運転をさせ、病院へ搬送させていた。夫は当時、彼の話術に催眠をかけられたかのように従っていたが、裁判を経て、時がたち、ようやく彼の悪行を見つめ直すこととなった。

裁判では山納が完全敗訴。約一千万円の賠償命令が下った。しかし督促を無視し続け、いまだに一円も支払っていない。しかも、自著には「自分がだまされた」と書き、被害者を激怒させている。

 


女性被害と盗用のスピリチュアル

彼は手当たり次第に女性へ結婚詐欺まがいのアプローチを繰り返し、既婚者すら標的にした。表に出ない被害は無数にあるだろう。

さらにスピリチュアル系の発言も、他人の知識や言葉を盗み、自分の体験として語る。こうして「山納ワールド」と呼ばれる妄想を紡ぎ、講演や発信で信者を集め、金を吸い上げてきた。

 


詐欺師の典型パターン

彼の行動パターンは、まさに詐欺師の教科書のようである。

  • 謝罪をせず、責任を逃れる
     

  • 失敗を隠し、都合の良い物語へ脚色する
     

  • 人のせいにし、話を逸らす
     

  • 驚くような嘘を断言し、素直な人を圧倒する
     

  • コンテンツは常に他人からの盗用
     

  • 問題が起これば、責任転嫁、無視、沈黙
     

つまり、嘘を武器に弱者から奪い続ける作話断言型詐欺師である。

 


応援という名の共犯

それでも「かわいそう」「何があっても応援します」と言う人がいる。だが、それはもはや優しさではない。

詐欺師に力を与えるその態度は、被害者を救うどころか、さらなる被害を生み出す。つまり、応援という行為は善意ではなく、共犯であり悪業(カルマ)である。

 


最後に残るもの

人生の最後に残るのは、華やかな虚飾ではない。社会を支えていくのは、冷徹な信頼の構造である。

詐欺師の巧妙さは一瞬の眩さでしかない。だが人生を支配するのは「信頼」と「誠実」である。誠実な人間は、自らの失敗や闇をさらけ出し、真実を語る。その勇気こそが、人の絆を築き、人生を豊かにするのだ。

「応援」という幻想を棄てよ。
真実を直視し、信頼と誠実に価値を置け。
それがあなた自身の尊厳を守る唯一の道なのだ。