瞑想するのに自己流は危険か?


これは瞑想に限らず、他のことでも
同じなのです。

はい本当です。


ちょっと試しに
考えてみてください。

たとえば
料理を学ぶ、(包丁、火の処理、圧力なべの操作など)
大工仕事を学ぶ、(電動工具、刃物、高所作業など)
美容健康法を学ぶ、、、(アレルギー反応、肌トラブルなど)

ほとんどすべてのことに共通しますが
大小の差こそあれ
「危険」はすべての物事に秘められています

本当に自己流は危険でしょうか?


もちろん危険はあります。(ですからこたえはイエスです。)
しかし、その言葉の真意は何かを考えてみると
深い構造が見えてきます。


危険はあっても
一人でやることは
良いことです。

一人でやることが基本的な部分です。


なぜなら
先生に教わることは
一部分にすぎないのです。

マスターするプロセスにおいて
必ず、自分自身の
実践、納得、理解が
あるからです。

それは、手とり足とり
指導してもらうことではなく

自分一人で
手さぐりして覚える部分なのです。


自己流はおおいに結構


依存からはずれて
自己を見つめるのです。


それよりもここでの
注意点は

危険ですと言っている
「情報発信者の本音」を読み取ることです。

一見良識のあるかに見えるワナに気づいてください!

おどして、何かを買わせる。何かを信じ込ませる。等。
これがワナになっている場合があるからなのです!

そもそも世の中にある

【不安を刺激する情報】

9割以上は
不安を高めて、自分の配下に入れること
支配下にいれることが目的の場合が多いのです。


念のため
疑ってかかって
チェックしてみてください。


どんな権威のあるものでも、
知名度の高い、伝統的なものですら

不安を高めて
支配下に納めることを
目的に「おどし」「危険喚起」をおこなっている場合が多いです。


自己判断でチェックしてみてください。


それくらいのバランスで
学ぶのがちょうどよいのかもしれません

それくらいの状態の時に
自分が本当に知りたいことを
それなりの(本物の)先生に聞けば
砂漠が水を吸うように
吸収できます。

それ以上に過剰に先生に恐縮することは
ないのです。あたりまえに尊敬するのは当然ですが
必要以上に依存しても
おかしなことになるのです。


その様に私は言います。