詐欺師から離れない人々
――スピリチュアルと心理が交差する地点
多くの被害者が、後からこう振り返ります。
「最初から、少しおかしいとは思っていた」
「途中で何度も、引っかかる感覚はあった」
それでも、なぜ離れられなかったのか。
それは意志が弱かったからでも、判断力がなかったからでもありません。
そこには、人の心が自然に陥る仕組みがあります。
① 「縁」「学び」「試練」という言葉が、違和感を封じる
スピリチュアルな文脈では、
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これは学びのために起きている
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試されているのかもしれない
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ここで逃げたら成長できない
こうした考え方がよく語られます。
本来これは、
困難を前向きに受け止めるための、健全な視点です。
しかし悪用されると、
危険信号を無視する理由にすり替わってしまう。
違和感が出た瞬間に、
「これは私のエゴかもしれない」
「疑うのは波動が低いのかもしれない」
そうやって、
自分の感覚そのものを疑い始めてしまうのです。
② 「もう少しで良くなる」という希望の罠
関係が深まるほど、こう思うようになります。
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ここまで来たのだから
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もう少しで形になるはず
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今やめたら、すべて無駄になる
これは人として、とても自然な感情です。
でも実際には、
「もう少し」が何度も延長され、
終わりが見えないまま、時間とお金とエネルギーが消えていく。
ここで人は、
相手ではなく自分の選択を正当化し始めます。
③ 「信じた自分」を否定したくない心理
人は、
一度強く信じたものを、簡単には手放せません。
それを否定することは、
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自分が間違っていたと認めること
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自分を見る目がなかったと認めること
につながるからです。
だから無意識に、
「相手は悪くない」
「状況が悪かっただけ」
と解釈を修正していきます。
ここで、
被害者は少しずつ共犯的な立場に引き込まれていきます。
④ 「同じ世界を信じている仲間」が離脱を難しくする
コミュニティや仲間がいる場合、
離れることはさらに難しくなります。
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ここを否定したら、居場所がなくなる
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仲間を裏切ることになる
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空気を壊す人になりたくない
この段階では、
相手ではなく集団の空気が拘束装置になります。
⑤ 本当のスピリチュアルは「自分を守ること」
ここで、ひとつ大切な視点があります。
違和感は、
エゴでも、未熟さでもありません。
むしろそれは、
心と身体が発している、とても健全なサインです。
本当の意味でのスピリチュアルとは、
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無理をしない
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自分をすり減らさない
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恐怖や焦りから選択しない
その積み重ねの上にしか成り立ちません。
離れることは「逃げ」ではない
関係を断つことは、
敗北でも、成長放棄でもありません。
それは、
「ここは私の場所ではなかった」
と静かに認める行為です。
違和感に気づけた時点で、
もう十分に学びは終わっています。
次につながる問い
・この話は、事実を説明しているか
・それとも、感情を揺さぶっているだけか
・安心よりも、焦りを使っていないか
この問いを持つだけで、
同じ構造に巻き込まれる確率は大きく下がります。
