私の本棚17ー夫婦善哉・怖るべき女 | アンクルコアラのブログ

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実業之日本社文庫「無頼派作家の夜」シリーズの刊行と、坂口安吾「堕落論・特攻隊に捧ぐ」については前回の「私の本棚」で紹介した。今回は同じシリーズから、織田作之助著「夫婦善哉・怖るべき女」を紹介しよう。
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夫婦善哉をはじめとする一連の作品群は、①大阪の下町が舞台②主人公はどうしようもなくダメな男③相方はしっかり者のようでどこか抜けている女④現状から這い上がれず転落を続ける男と女⑤主人公達を取り巻く男女も似たり寄ったりーと言う共通項がある。

どの作品も巧みな文章と人間の本質を読み切った心理描写で一気に読ませる。代表作の「夫婦善哉」は織田が27歳の時の作品である。如何に無頼派とは言え、27歳の男に人生や男女の機微を描ける筈がない。この人間悲喜劇を完璧なまでに描き切ったオダサクとは一体何者だろうか。坂口安吾とは違った意味で衝撃を受けた。

このアンソロジーの中で私のイチ押しは「アド・バルーン」である。オダサクの作品に出て来る男は皆ダメ男だが、この小説の主人公はそのダメ振りが際立っている。

何しろ所持金63銭しか持たずに片想いの女を訪ねて東京に行き、逢えたはよいが瞬時に振られて、挙げ句の果てに大阪へ帰る汽車代を恵んで貰う情けなさ、野宿に不可欠な毛布を売って博打に望みを掛けたが、博打はイカサマでスッテンテンになるなど、その阿呆振りは凄い。

主人公が岐路に差し掛かる度に必ず悪い方に行こうとする様に、「やめろ!そっちじゃない、逆の方を選べ!」と読んでいる方が叫びたくなる。

ダメ男のハラハラさせる行動と言えば、文楽の世界である。近松門左衛門の書いた「曽根崎心中」「冥途の飛脚」などに出て来るダメ男とそっくりである。織田は「可能性の文学」等で触れてはいないが、近松や西鶴ら大阪が生んだ偉大な日本文学史上の巨人達の影響を強く受け、その後継者としての自覚を持っていたことは間違いないだろう。

文楽は今観客数が落込み苦戦中である。近松の描いた世界から出られず、現代に生きる人間の悲喜劇を描けていないことも一因であろう。織田が長生きして「現代版文楽」の座付き作家になっていたらきっと隆盛を誇っていたのではないか。

33歳という若さで逝った織田作之助、無頼派などと言う枠組を超えて日本文学史上に今も輝きを放っている。


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